便利だったノート:コクヨのカットオフノートと無印の雑記帳

私はよくメモを取る人なのですが、最近1週間はメモの取り方を変えてみました。

日々浮かんでくるアイデアは、ロディアの一番小さいNo.11のメモ帳にまとめます。そして外出するときはロディアのメモ帳と、もしなにか思いついたらより広いスペースに書き留めることができるよう、できるだけ無印のA5の雑記帳を持ち歩くようになりました。無印の雑記帳が、軽くて携帯しやすくていいです。そして今はロディアに落ち着いたのですが、ロディアの前に使っていたコクヨのノートもいいなと思ったノートでした。

そこで、今日は最近いいなと思った無印と、ちょっと前に使ってよかったコクヨのノートについて書いてみます。ロディアも大好きですが、有名すぎて今更書くこともないか…と思うのであえて書きません…。

コクヨのカットオフノート

ノートにはページにミシン目がついていて、切り離すことができます。サイズは、A7変形、B7、A6(5号)、セミB5(6号)があり、写真はA7変形です。

よくこのノートをポケットに入れて使っていました。安いのと、必要なくなったら切り離せばいいかと思えるからかなんでもガシガシ書け、ちょっとポケットに入れておくと便利でした。途中からすぐメモを取れるよう、メモを書くページを表紙のようにしてノートを折り返して使っていたら、ノートのミシン目がちょっとだけ切れていることもありました。そのため場合によっては、注意が必要かもしれません。

ただ、ちょっと切り離したいときってたまにあって、そういうときに便利です。書いたメモをそのまま切り離して使うことが多い方や、切り離したり普通のメモとして使ったり、両方の機能を求める方に使いやすい1冊だと思います。

https://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/campus_others/#note

 

 

無印良品の雑記帳

左側の写真が本の表紙側で、右側が本の裏表紙側。

私は荷物は軽量化したくて、でもメモは持ち歩きたい人でした。そんなある日見つけて感動したのが、無印の雑記帳。

サイズはA6とA5があり、値段は税込みでA6が39円、A5が49円。色というか種類も未ざらしと半ざらしがあります(上の写真は半ざらしです)。

https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4550002185060

https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4550002185107

無印良品のネットストアを見てみると、未ざらしは梱包用紙としても使用される紙で、半ざらしは封筒などに使われる紙ということ。

封筒と半ざらしノートを並べてみると…。

ページはA6もA5も32枚(64ページ)で、ノートは2点のホッチキス止め。

なによりありがたかったのが、重量はA6が27g、A5が54gということ!(※家のスケールで測定したため、数グラムの誤差はあるかもしれません)。家にあった2冊のメーカー違いのほぼ同じ枚数のA5のノートが100g程度なので、とにかく軽いです。普通のノートより紙がすこし薄めで、薄めの紙がホッチキス止めされ手軽に書けるノートという印象です。

軽い分、実はノートに表紙がありません(!)。無印良品のサイトには、「引き裂きに強く、消しゴムや消せるボールペンでこすった際にも破れにくい丈夫な紙なので、表紙をつけず1ページ目から書き出せる仕様にしました」と書かれています。

使ってみて、普通のノートより裏側にすこしすけやすいかな、消せるボールペンを使って消すと、ちょっと紙が普通のノートよりぷかぷかしやすいかなという印象はあります。また表紙がない分、紙は簡単に折れてしまいます。

でも全部をひっくるめても、普通のノートより気軽に持ち運びができて、安いからガシガシ気兼ねなく使えるので好きです。ただ折れるとへこむので、軽いノートカバーにはさんで使っています。

ノートは紙自体薄めで表紙もないので、手帳の間にちょっとはさんでメモとして使うこともできる気がします。

 

さいごに

メモにいろんなことを書くので、切り離したいことが多かったです。でもリングメモが苦手なので、普通のノートで破ったあとが残らないノートないかなあと探していました。同時に、ノートは持ち歩きたいけど軽い荷物が好きでした。ノートを持ち歩かないこともしょっちゅうで、でも持ち歩かないことで後悔することも多かったです。

今日はそんなときたまたま見つけて使って、おお! と思ったノートについてまとめてみました。気になるノートがあったら、よかったらチェックしてみてください。

こんまりメソッド実践直後の、心理的・行動上の変化

先日、1週間かけて部屋をひっくり返して、こんまりメソッドに挑戦しました。シュレッダーが壊れており、紙ごみは部屋に大量に残っています。けれどそれ以外は部屋がすっきりして、片づけの前と後で気持ちもだいぶ変わりました。

試してみて、感じたことはいろいろあります。そのなかで今日は、実践直後の心理的・行動上のいくつかの変化についてまとめてみます。

 

自分の価値観が明確になる

片づけのあと残るものは、自分がぼんやり好きだと認識していたものばかり。ぼんやり「自分ってこういう人間だよな」と思っていた部分がくっきりとして、自分が大切にしているもの、価値を置いていることが明らかになりました。

例えば、多く残ったものは亡くなった祖父が小さいころくれた木工製品の置物や小物類。祖父が大工で木のものに囲まれて育ったため、木工製品が好きで愛着があります。小物のなかでプラスチック、陶器類、人形などは処分したものも多いけれど、木工製品だけは大半を残しました。なんとなく木でできたものが好きなことは知っていたのですが、片づけを経てくっきりと自分の好みを認識するきっかけに。

また「価値観」という観点では、以前からミニマリスト寄りだったけれど、よりその方向に進もうと思う機会に。ものがすくない空間のほうが落ち着くことに気づき、ほんとうに必要なものだけ大切にして生活していきたいなと今は感じるようになりました。

 

意識が「昔」から「今」にうつる

私は近藤さんの著書の『イラストでときめく 片づけの魔法』を読みました。こんまりメソッドは片づける順番があります。衣類、本類、書類、小物類、思い出の品の順です。本のなかでも衣類→本類…の順で章立てされ、服ならトップス、ボトムス、ワンピース、靴下…とそれぞれの片づけのコツが解説され、片づけをしながら読み進められます。

本では衣類、本類など片づけ対象が変わる、つまり章が変わるとき、近藤さんのコメントが1ページの真ん中に数文だけ書かれたページが2ページ続きます。思い出の品の章の前の1ページ目のコメントは、こんな風に始まります。

結局、捨てられない原因を突き詰めていくと、じつは二つしかありません。
それは「過去に対する執着」と「未来に対する不安」。
この二つだけです。

思い出の品の片づけをしているとき、ほんとうにこの言葉の通りだなと感じました。

人にもらったものや、大切な人にもらったものは、処分したい、したほうがいいとわかっていても、処分しづらかったです。なぜ捨てられないのかと考えたとき、私の場合は、過去のよかった時間がなくなってしまうように思えたり、同時によかった思い出にすがって未来の不安を見ないようにしているところがあるからでした。でも執着や不安に気づき「そのときはもう終わった、過ぎたんだ」と理解することができたら、自然と手放すことができました。そうしたら、自然と視点が「昔」ではなく「今」に向かうようになっていきました。

また前の項で書いたように、自分の関心や価値観が明確になります。そのため、今までは埋もれてた「自分のこうしたい」に自然と近づこうとするようになります。

本では、はじめに課題が出されます。「どんなおうちで、どんな暮らしをしたいのか、理想の暮らしを考える」というものです。私は片づけを始める前、こんな部屋で過ごしたいというイメージがいまいち浮かんでこなかったです。でも片づけ終わってから、次第にイメージがわいてくるようになりました。

この例をはじめ、結果的に、片づけることで意識が自然と「今」と「未来」に向くようになった感覚があります。

 

気持ちがよい、心地がよい

目でとらえるものの影響力の強さを実感します。

まず、部屋がきれいになって、部屋のごちゃごちゃがなくなって単純にすっきりします。

それから部屋のなかに「なんとなくいやだなあ、気になるなあ」と思うものがけっこうありました。日々使う食器には好きだけど割れ目が多いものも多く、使う度になんとなくモヤッとしていました。思い切って処分し大切にしたいものを新たに使うようにしたら、心地がよいです。そういう「なんとなくいや」を全部なくし、こうすると落ち着くを増やしたら、生活空間が前より好きになり、心地よい時間が増えました。

 

ものを大切にするようになった、買うものを選ぶようになった

必要だからと「とりあえず」「なんとなく」買ったものは、ないと困るもの以外は処分しました。「とりあえず」買ったものは好みじゃないけど、そのときないと困るから、という理由で買ったものが多いです。そのため、ものに対する「ときめき」はなく残したいという感情も起こらず、結果的に処分する方向に。

ものによっては、使えるのに処分することを選んだものもたくさんありました。

歳を経ているから変化はあるとはいえ、捨てるというのは精神的にけっこうこたえました。

ただ、だからこそ、もう今回のようにものを捨てたくない、ほんとうに必要なもの、長く手元に置きたいと思うものだけを手元に置き、大切にしようと思うようになりました。そのため、「とりあえず買おう」は減り、なにか代用できないか? ほんとうに必要か? を前より考えるようになったと思います。

 

さいごに:こんまりメソッドに対して思うこと

本のエピローグの最後にこんな言葉があります。

もし今、あなたが、日々心になんとなく感じている不安があるのなら、私はやっぱり、片づけすることをおすすめします。

私は現状を変えなければ! という思いと、「自分の部屋、なんとなくいやだな」という気持ちが募って、片づけを始めました。

近藤さんは著書のなかで、こんな風に書かれています。

「片づける」ということは、イコール「これまでの人生に片をつけ、人生の次の準備をすること」。
つまり今のステージに片をつけることで、人生の次のステージが訪れるのです。

その通りだと感じました。

片づけを通じて、自分に対する理解が深まった気がします。ときめくもの、残したいと思うものを残す過程で、自分が大切だと思っているもの・ことが必然的に見えてきます。そうして片づけを起点として、これからどうしていきたいかがほんのすこし見えてきました。

私はこんまりメソッドがなんとなく頭の片隅で気になって、なんとなく片づけをしたほうがいいんだろうなと思っていて今回勢いで試しました。私には合っていて、心理的な効果も大きかったです。

ときめきを大切にするというアプローチは、合う人と合わない人がいる気がします。ただ、私と同じようになんとなく気になるんだよな…という方は、近藤さんの著書を読んだりされるのもいいのではないかと感じました。

『化石ハンター』/小林快次著を読んで

以前、NHKの『あさイチ』というラジオ番組で恐竜学者である小林快次(よしつぐ)さんが出演されていました。そのインタビューがとても印象に残っていて、インタビューの言葉のかけらを見つけることができないかと、ある日、小林さんの本を読みました。

本は、PHP研究所から出版されている「YA心の友だちシリーズ」の1冊で、中心的な対象読者はたぶん子ども、中高生じゃないかと思います。だけど、私はどはまりして、このところの私を動かしてくれたのは、この本の言葉でした。そこで、今日は本を読んで感じたことを書いてみます。

 

『化石ハンター 恐竜少年じゃなかった僕はなぜ恐竜学者になったのか?』

まず小林さんは、北海道大学総合博物館教授をされています。

タイトルからすると、小林さんの人生の歩み、子供のころからどうやって今まで人生の歩みを進めてきたかという内容が書かれている気がするかもしれません。もちろんそれも書かれています。だけど「どうしてそういう人生になっていったのか」の部分が、もっと大切になっている本だと感じました。

Amazonの内容紹介文の一部はこんな風に書かれています。

世界トップクラスの恐竜学者である著者は言う。
「恐竜は特別、好きというわけじゃなかった」
化石採集に熱中した少年時代。
知識やウンチクとしての古生物には興味がなく、ただ太古から現存してきた化石の、時空を超えた存在感に想いを馳せるのが好きだったという。
「普通」を夢見ていた意外な少年時代、大学時代の挫折感と虚無感から始まった恐竜学者への道のりを語ります。

 

 

未来にワクワクするきっかけをあたえてくれた本

この本の一番よかったところは、未来にちょっとワクワクするきっかけをくれたことでした。本には、「これだったら私にもできそう」という要素がつまっています。「これだったら私もできそう、私も変われるものなら変わりたい」と素直に思い、一歩踏み出すことができた気がします。

私が救われた本書の考え方は、ものごとを引き算で考えないところでした。たとえば、なにか始めたけれど三日坊主になってしまった場合、「ああ、続かなかった」と後ろ向きにとらえやすいです。

けれど小林さんの場合、三日坊主はいいことだと思うと書かれています。「イヤになってやめたということは、それが自分に向いているかを試した結果、向いていないと確認できたということ」と書かれ、本のなかで、後の文章はこんな風に続いていきます。

 何でもいいから試してみる。試してみて「これもダメ、あれもダメ」でもいいのです。そうやっていくつものことを試しているうちに、自分に合うもの、やっていて楽しいと思えるものが見つかれば、自然にそれをやり続けていくでしょう。
何かを始める、つまり一歩を踏み出すことができるというのは、実はそれだけですごい能力です。その一歩を踏み出すことに尻込みして、何も始められず、どこにも向かえずにいる人が多いように思います。

「なにかを始める」ことをものごとの「始点」とし、生まれたものから着想を広げていく。始めたところの点を未来に向かってつなげていく。目の前の「今」から「未来へ」つなげていく小林さんの考え方に惹かれました。

本で一番印象に残っているのは、次の言葉です。

 転機はふとした瞬間に訪れました。横浜国大の図書館で、なにげなく手にした恐竜図鑑を開いたとき、そこにあった恐竜たちの姿を見て、思いがけず胸が高鳴るのを感じました。(中略)
とはいえ、身体に電流が走るように「好きだ!」とか「これだ!」と熱烈に思ったというわけではありません。中学生のとき、理科クラブの顧問の先生に「福井県ではアンモナイトや三葉虫の化石が出ます」といわれて「へえ、面白そう」と思った、あのときと同じくらいの軽い気持ちでした。
たとえば、「全号揃えるとこんな模型が完成します」という分冊百科のCMを見て、「面白そう、ちょっとやってみるか」と思ったりすることは、誰にでもあるのではないかと思います。あの感覚と一緒です。

この転機が訪れる前の小林さんの人生は、外から見れば順調と思われるものだけど、本人は「どこかに向けて一歩を踏み出したいのに、どこに足を出したらいいのかわからず同じ地点でずっと足踏みしている」状態だったと書いています。けれどこの図書館での経験をもとに、自ら恐竜学者としての一歩を踏み出し始めます。

私は、なにか始めたいことがあっても「うまくいくかわからないから…」と最初の一歩を踏み出さない人でした。けれど、「面白そう、ちょっとやってみるか」というような楽しみを大切にするやり方だったら、私にもできそうだと思い、小さな一歩を踏み出すことができたように思います。

 

「今を生きる」「ワクワクすることをする」というのは、自己啓発書やスピリチュアル系の書籍でよく見る言葉です。でもそういう本の言葉を読んで、「よし、わかった!」と案外行動につながることはすくなかった気がします。

私の場合、例えば経営者や著名人の方の本は読んですごいなあと思うけれど、そこからなにか次の行動につながることはあまりなかったです。その理由の一つは、たぶん著者やスポットの当たっている人が「仰ぎ見る」存在になりがちだったからだと思います。「はあすごいなあ」とは思うけれど、すべてはすごいなあ止まり…。

けれどこの本は違って、なにが違うのか考えたとき、まず読者に語りかける形で話が進んでいくことがあると思います。図書館の話のように身近に感じられる話も多く、それだったらわかるなあ、それだったらできるなあと思える話がつまっています。そして書かれていることが、小林さんの人生をもって証明していることというのも大きいです。思っていることの後にそう思う理由が続き、そのあとに自身の体験が続き、主張が人生を通じて証明されていきます。

自分と小林さんの話に関連を見出せ、小林さんの自身の人生の体験談から勇気をもらう。そして「じゃあやってみようかな」という流れにつながっていた気がします。

もともとは子ども、学生向けの本だとは思うのですが、大人の人にもうったえるものがたくさんある本だと感じました。

去年読んで、読んでよかったと思える本の1冊で、今もときどき思い出す1冊です。