先週、ピースの又吉さんの「火花」を読みました。今日はその感想を書いてみようと思います。ネタバレがあるので、内容を知りたくない人はここで「戻る」ボタンを!
もういいですかね。
まず読んだ直後は、エンディングが自分の想像していたものと違ったので「いやだったなあ、あのエンディング」とぼんやりと思っていました。
いつもなら思考はここでストップするのですが、今回はなんとなく「じゃあ、なんでいやだったんだろう」と気持ちをもう一歩掘り下げてみました。するとだんだん「ああ、だからいやだったのか」と自分の気持ちを整理することができ、それにつれて本への理解も深まっていくことになった気がします。
今日は、そのあたりのことも含めて書いていけたらと思います。
本の内容はAmazonから引用させてもらいます。
売れない芸人の徳永は、天才肌の先輩芸人・神谷と出会い、師と仰ぐ。神谷の伝記を書くことを乞われ、共に過ごす時間が増えるが、やがて二人は別の道を歩むことになる。笑いとは何か、人間とは何かを描ききったデビュー小説。
この本を読んで感じたテーマを一言でまとめると「受け入れる、そして」でした。受け入れるのあとの「そして」とは何だというところですが、それは一旦置いておきます。
本を読んだ人なら、「受け入れる」という言葉に納得はできるのではないかと思います。徳永の芸人になるという夢はかなわなかったのですから。本は全然売れない芸人というところから始まり、少しずつ事態が好転し始め、物語中後盤ではテレビへの出演も果たしていく様が描かれています。でもその状態が続くことはなく、少しずつ仕事も減っていき最終的に徳永は芸人をやめてしまいます。本はそんな徳永の10年の人生を追っていきます。
目の前に立ちはだかる圧倒的な事実を、自分ではどうしようもできない現実を、受け入れる。
そんな感覚がしました。私はどこかで徳永の人生が好転し、自分自身も希望を持ちたいと感じたがっていた気がします。だからこそ主人公の人生が好転しないのは悲しくて「いやだなあ、あのエンディング」というところにつながっていってしまった。
でも、と話は続きます。そして、それが私が本を読んで感じた「受け入れる、『そして』」の部分につながってきます。まず私が「そして」と付け加えたくなるきっかけになった一節を引用させてください。
必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう? 一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。
外から見える徳永の10年を一言でまとめると「徳永は芸人として活躍したかったけど夢は実現できず、結果的に違う仕事についた」になってしまいます。でもそれはただのあきらめではなく、感じきった上での受容であると感じました。
私もかつて何かをあきらめたことはあったけど、彼と同じように行ききってあきらめているだろうか、彼のように人生を得たことがあるだろうかと考えたら、答えは「NO」でした。徳永はちゃんと感じきって、進み切った者だけに見える世界を見ているのです。物語のよしあしを、外から見える結果だけで内容はジャッジできないのだと思いなおしました。
そんな風に思ったあとで再度読み直してみると、最後のこんな一節が目に留まります。
生きている限り、バッドエンドはない。僕達はまだ途中だ。これから続きをやるのだ。
やはり、この物語は「受け入れる」だけの物語ではなく、「そして」の物語なんだと思った瞬間で、本の内容が腑に落ちた瞬間でした。このときには、はじめに感じたいやな感じも消えていました。「火花」は叶えたかった夢を実現できなかった話ではなく、人生には常に続きがあると教えてくれる本になった気がします。この箇所はのちに近畿大学での又吉さんのスピーチ動画を見たとき、さらに納得しました。
というのがざっくりとした感想なんですが、ほかにもマイナーなことをいくつか。ネタやんと、めちゃめちゃ笑い倒したところもあったし、何度も読み返したい言葉にも出あえました。それから自分が普段感じているけれど、うまく言語化できないことをスッポリと言語化されている表現が多かったなあと思います。風景の描写とか、心の闇の部分とか…。自分のなかに表現の単語帳があるとしたら、本を読んでかなりアップデートされた気がします。読めてよかったし、きっと読み直す1冊です。おもしろかった~。
今は二作目を読んでいます。そのこともまた、書きたいと感じたら書いてみようと思います。
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