11/21/2025

添削前/Before Correction

In a nutshell, you just need to go home and sleep. You’re barely functioning, and right now you do more harm than good.

添削後/After Correction

To put it simply, all you need to do is go home and sleep. You’re barely functioning right now, and you’re doing more harm than good.

メモ

In a nutshell を使いたかったのですが、その表現を使うには理由が短すぎるとのこと。いくつかの理由が前段にあって、その内容を要約するとき in a nutshell で始めることができるということで、今回は to put it simply に変更。ただ、話の流れの想定としては to put it simply の前にも理由、恐らく複雑なもの、が述べられていて、上のような流れの文につながる形になるだろう、とのことでした。

11/20/2026

添削前/Before Correction

-The library has a myriad genres of books.
-Considering the way he said it, the comment seems tongue-in-cheek.

添削後/After Correction

-The library has books in a myriad of genres.
(その図書館には無数のジャンルの本がある。)

-Considering the way he said it, the comment seemed tongue-in-cheek,
(言い方から察するに、彼のコメントは冗談半分だった。)

他の表現/Alternatives

The comment seems tongue-in-cheek, at least judging by the way he said it.

Week 46, 2025

本を読む=会話の上達?

いつもお世話になっている英会話講師に、英会話力向上法をよく訊ねます。「英語を読むのだ」が講師の一つの答えで、その言葉を聞くたび、いつも気まぐれに本を読んでまたやめるというサイクルを繰り返していました。しかし、たまに人生では「くやしー!」とか「変わりたい」と思ったり願ったりすることが起こって、ある先週末頃、一念発起して、英語の本を毎日1時間読み始めました。

「1時間」は案外きつい

土日にたしか始めたので、初めは時間も潤沢にあってまぁなんとかなります。苦しいのが、平日。仕事終わりの時間軸だけを見るとできそうなのですが、そこに仕事終わりのエネルギーない問題がのっかると結構難関です…。今週は会食が2日ちょうど重なり、「oh…」となりました。でも同時に、ぶっ通しで1時間読むのはそこそこきついので、ちゃんと1時間クリアできる日が重なると、自信にもつながっていきました。

英語も聞かないとダメなことに気づき始めた

英語コンプレックスをどうにか薄めるために、読書1時間生活を数日続けたあたりで英会話のコマ数も1つ増やしたりしてみました。しかし、なんでもやってみないとやはりわからないもの。コマを増やしても、英語を1時間懸命に読んでも、英語を聞く量を増やさないと口をついて英語の表現はでてこないなと思い始めたのもこのあたり。

とりあえず書き始めることにした

「英語をより聞く」は今も課題のまま残っていて、特に対策はまだとれず…というのが現状です。ただ、ずっと英語関連の投稿を書き続けたいなという思いがあって、とりあえず書いてみることにしました。何かを学ぶとき、能動的学習、受動的学習という言葉が出てきます。私のこれまでの英語学習は、ひたすら聞いて、気が向いたときに読むというスタイルで、英語を日常的に話すのは1日2コマ50分の英会話だけ。本を読む前は、ポッドキャストなどでわからない単語に遭遇しても調べることは皆無。ちょうどそんなとき、もっと自分から自発的に学習をしたほうがいい、と英会話講師に指摘を受けたのでした。これから連日、読書を通じて新たに遭遇した単語を使って、英作文の投稿をしていこうと思っています。過去の傾向を踏まえると即終わりそうですが、まあできる限り続けたいものです。この新たな試みが、英語学習の新たな突破口になってくれるといーなー。

週2投稿を3週間で挫折して学んだこと

実は3月の頭まで、週に2回で書く! と決意して、週に2回投稿していました。毎回、書いたあとの達成感は大きかったです。

ただ、だんだん苦しくなり始めたのも事実でした。うまく書けなくていらいらし、うまく書けないから投稿が深夜になり、生活も乱れて、どんどん悪循環に。少しずつ義務感が強くなり、なんでブログを書き始めたか少しずつわからなくなっていきました。

最後は、もうとりあえずやめようとやめ、3週間で終わったこの試みだったのですが、この経験から学んだことはいくつかありました。今日はそのことについて書いてみたいと思います。

 

楽しむことの大切さ

まず一番びっくりしたのは、「週2で書くのをやめる!」と決意して数日後、ブログを書き始めたときの初期衝動を思い出したことでした。

私がブログを始めようと思った最初の理由は、自分でいいなと思ったもの・ことについて書いてみたい、書いてみたらおもしろそうという気持ちでした。でも、締め切りを決めコンスタントに書き続けるにつれて、ブログを書いている理由がわからなくなり始めて、自分の決定に苦しめる形に。

だったのですが、継続投稿をやめてから数日たったとき久々に、対象は何だったかはおぼえていないのですが、そのときに思いついた何かについて、書いたらおもしろそうかも、とふと思うことがありました。

このとき、楽しむことの大切さ、自発的に書きたいと思う気持ちの大切さを実感しました。

ルールを作ること、ほどよいプレッシャーをかけることは、対象を自分に引き寄せステップアップしていくのにとても有効です。でも、やり方が自分にマッチしているかに目を向けることも大切なんだと今回学んだ気がします。

ずっと書いてみたいと思っていたことをやっと書いているのに、うまくいかない・・・。なぜだ? と思ったとき、私の場合は決めたルールが、自分のキャパを超えて、苦しくなって、義務感が強くなって・・・と、当初のワクワク感をうまく維持することができなくなり始めていたようです。

 

 

まず「決めて、やる」ことの大切さ

とはいうものの、「週2で更新する」数年ずっと挑戦してみたかったことだったので、こけたけどやってみたことを後悔はしていません。むしろ、もっと早くやって失敗しておけばよかったな~と思うほどでした。早く失敗すれば、そこから楽しんで書くことが大切なんだ、今のやり方に何か変更を加えて改善できないか、という風に考えることがてき、結果的に次の行動の糸口が見えてきます。

やってみたいんだよな、気になるんだよな、と思うことはとりあえず一旦やってみて、もしくは失敗するだろうと思いながらとにかく始めてみる。それくらいの気持ちで、まずは、とにかくやってみればいいのかもしれないなあ~とほんのちょっと思うきっかけになった気がします。数年、ずっとやってみたいよなあ、でもなあ・・・で思考は止まっていて、あの日々はもったいなかったなあと思うのでした。とほほ。

 

「気持ち」と「行動」にバランスをとる

上のこととつながるのですが、「やってみたい」と「やらない」の間にギャップがあると、なんとなくもやっとします。

実は、このブログを最初に始めたのは2018年でした。一番はじめは、数日間、毎日まじめに投稿していたのですが、だんだん能力が時間に追いつかず、フェイドアウト・・・。再びまじめに取り組んだのはここ最近でした。2018年当初も、頭ではもっと書きたいなあという気持ちがありました。でもそれは、「思うだけ」。

あのときと今をつなげて思うことは、思いに行動を近づける大切さです。

数千字の投稿と考えると、道のりが数百字より断然長いです。私の場合、向き合う対象が大きいと「おおっ・・」とびびって、対象がジャイアントモンスターのような存在になり、なんとなく避けたり、先送りしてしまいます。

でも、避けて先送りにする限り、いつまでももやっとした感情は消えません。そこでそういうときに意識したいなと思ったのは、「対象との接点」でした。

最終工程の「投稿」までたどり着かなくてもいい。とりあえず、書きたいなと思ったことを、キーボードに打つ、スマホのメモに書き留める、何かしら「思い」と「行動」の間にギャップを作らないようにすることが大切なんじゃないか、と思うようになりました。

 

 

最後に

こけたけど、今回のチャレンジはとても学びが多かったです。一番思ったことは、情熱って大切! ということでした。

ちょっと前までの期間に書いたことは、突発的に書いたこともいくつかありましたが、半数はもうずっっと書いてみたいと思っていたことでした。

けれど、当時はずっと書きたかったことをやっと今書いているのに、なんだかうまくいかなかった。当時、理由はわかりませんでしたが、今思うとそのときの自分の気持ちが週2で書くことに追いついていけてなかったからだと思います。

心身の状態大切、自分のスキルとタスクを合わせていくこと大切、でもその中で何よりも「今これを書きたい」という気持ち大切だ、と今回思いました。

これからは週2はとりあえずはあきらめ、これからは気持ちと行動のズレを減らしながら、ブログのつづけ方を模索していきたいです。ちなみにこの投稿もスマホのフリックで、数日間数十分ずつコツコツと書いてみました。案外スマホでも書けるんだなぁと驚きです。

使い方はきっと人それぞれ、無印のコットンメッシュバッグがとても便利

去年、無印のコットンメッシュバッグを購入しました。数年ずっとメッシュバッグを探していて、無印で見つけたときは一目ぼれ。今は、使いやすくてとても気に入っています。ただ、はじめて店頭で見たときはいまいちサイズ感がつかめずしばらく店頭で悩んでいました。今日は昔イメージがつかめず困ったところについて触れながら、商品のことについて書いてみます。

 

 

まず、商品は2サイズあります。

小さいサイズ

https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4550002882747

大きいサイズ

https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4550002882754

私が使っているものはこのうちの大きいサイズで、ここからは、大きいサイズについて感じたことを書いていきます。

 

 

ネットで他の人の使い方について調べてみると、ほんとうに人それぞれでした。服、ビニール袋などの収納から、野菜や果物を入れるため、はたまた外出用の普通のバッグとしてなどなど…。

私はお店で見たときは、あまりものが入らないかなあと悩みました。けれど実際に使ってみると、見た目よりがっつり入るなと感じています。

試しに、じゃがいもとたまねぎを入れる前と後の写真を。

なかには、このくらいのジャガイモと玉ねぎが入っています。

編みヒモ部分が横にほどよく伸び、なにも入っていない状態だと想像しにくいのですがけっこうたくさん入ります。素材は綿100%で綿もざっくりとした感じで、商品の重さは約80gです。

無印のオンラインショップには「メッシュの編みヒモを太くし、丈夫にしました」と書かれているのですが、ほんとうにその通りだなと感じています。

これまでコットンメッシュバッグを探していたとき、同じようなコットンメッシュのバッグでも、持ち手やメッシュ部分が重さに耐えられなさそうだなと購入しなかったことも何度かありました。でもこちらのバッグの場合は、持ち手の部分もメッシュ部分もしっかりしていて丈夫で使いやすいなと感じています。

 

 

私自身は、日頃ちょっと近所に買い物に行くときなどに使っています。

ただメッシュになっていて丸みをおびているので、写真のように、パックに入った角のあるものや、魚やお肉の入った発砲スチロールの容器などをいれると、バランスが取れずに苦戦することもあります。

でもバッグの仕様が好きで、このバッグで買い物に行くとテンションが上がるので買い物時によく使っています。

 

使い方は、きっと人それぞれ広がるバッグだなあと感じています。よかったらチェックしてみてください。

版画と詩、両方が楽しめる『のはらうたカレンダー』でホッと一息を。

カレンダーとは、毎日目にするもの。好きなイラストやデザイン、「うわあ、これいいなあ」と思うものだと、日々テンションが上がります。2018年に買って、1年間をおいて今年2020年に買ったカレンダー『のはうたカレンダー』は、まさにそんなカレンダーでした。

どこかなつかしい版画の雰囲気と、詩の言葉。版画と詩、その両方にいやされます。とっても素敵なカレンダーなので、今日はこのカレンダーについて書いてみます。

 

『のはらうたカレンダー』とは?

もしかしたら、『のはらうた』という言葉になじみのある方もいるかもしれません。というのは、『のはらうた』は、もともとは詩集の本。著書は詩人、工藤直子さんです。

私自身、『のはらうた』というタイトルであることは知りませんでしたが、小さいころ学校の図書館で『のはらうた』の本を見たことがあったなあと思います。

『のはらうた』には詩集版の他に、版画版があります。工藤さんの詩を、保手浜孝さんが版画にしたものです。

そして、「のはらうたカレンダー」は版画版の『のはらうた』の下にカレンダーがついているものです。

 

日々のカレンダーはどんな感じなのだろう?

まず、カレンダーの前に『のはらうた』とはどういうことでしょう? Amazonの『のはらうた 1』の紹介文を引用させてもらいます。

 

わらべうた、かぞえうた、というのはありますが、「のはらうた」というのは、どういううたでしょう。 作者は、のはらみんなの代理人を名のる、詩人のくどうなおこさんです。 くどうさんが、のはらを散歩していると、かまきりやみのむしや風が、うたをうたっています。 そのうたを書きとめて一冊にまとめたのが「のはらうた」。 のはらみんなは、のはらむらに住んでいて、くどうさんから自分の姓と名をもらいます。 かまきりりゅうじ、とか、かぜみつる、とか、うさぎふたご、といった具合です。

 

のはらうたは、のはらむらのみんなのうたをまとめたもの。では、うたはどんなうたなのでしょう? うたを見ながら、カレンダーについても見ていきましょう。

みんなそれぞれですね。

伝えたりうったえたりしているのが、人ではなく木枯らしだったり池だったり、やまばとだったり「のはらみんな」である、というのがこころを和ませてくれます。名前もいいですよね、「やまばとひとみ」さん。

そして版画にも気持ちがなごみます。

こちらは一昨年のものですが、版画のアングルはほんとうに様々で、「次の月はなにかな?」と月初めにめくる楽しみもあります。

 

のはらうたカレンダー、毎月使うカレンダー以外の部分も特徴的です。そのあたりのことも書いてみます。

まず、カレンダーは写真のようなケースに入っています。

ケースから取り出すと、カレンダーの表紙(?)はこんな風に。

表紙を1枚めくると、カラーの1ページが。

カレンダーをめくる部分は木になっていていて、紐がついていて吊るすことができます。

カレンダーのサイズは、縦37×横25.5㎝ほどです。

版画の文字は全部の月、ひらがなで書かれているので、子どもさんにもピッタリ。ケースにも入っているので、子どもさんや、こういう雰囲気が好きな人など、プレゼントとしてそのまま渡すのもいいんじゃないかと思います。

 

さいごに:日々使って感じること

はじめは、カレンダーの雰囲気に一目ぼれで買いました。でも今は、カレンダーのうたを読むと子どものときの自由な気持ちや感覚を思い出したり、笑ってしまったりと、詩と版画の両方にいやされている気がします。

うたを目で追いながらカレンダーを見ていると、月によるところもありますが、こころの真ん中がホッとあったかくなることが多いです。

そして、がっくし落ち込んだときにカレンダーを見たりすると、ふわりと背中を押してもらえるような、意識を落ち込んだ気持ちとはすこし違うところに持っていくような力を、カレンダーは持っている気がします。月によっては示唆にとんでいて、そうだなあとしみじみ思うことも。

昨年は別のカレンダーを使っていて(こちらもおすすめです!)、昨年は使いませんでした。でもしばらく経って、買えばよかった! と思ったときには、残念ながらもう販売されていませんでした…。今年は再び購入! 今は日々、カレンダーの雰囲気にホッといやされています。

最後に、カレンダーだけではなく、『のはらうた』の詩集もとても素敵です。詩集版と版画版、それぞれ異なるよさがあって、両方読んでみるのも楽しいです。

ブログを2週間、週2回書いて感じること

最近は、1週間に2回ブログを書いています。週2にしたきっかけは、前によく聞いていたポッドキャスト。月曜日と木曜日の週に2回の更新で、放送は1000回を超えていました。「週2かあ、そうやって積み重ねていくの、私もやってみたいな」と何年も思いつつ、何年も踏ん切りがつきませんでした。でも2週間前、「えいやっ!」と始めてみました。苦しみつつ、メリットも感じます。せっかくなので、今日はそのことについて書いてみます。

 

メリット

行動が自分の自信になる

ブログの更新回数を増やすことは、やってみたいけれど、自信がないことでもあって、かつエネルギーのいること。なので、いつも「そのうちね」と思っていました。そして「そのうち」はいつまでも来ません。今は、やっとこさその山をすこしずつ登っていけているからか、一つ一つの更新が小さな自信になっていく感覚があります。

また、一つの投稿を完成させアップさせたときなどに、今まで投稿はしたいけど「またいつか…」程度にしか思えていなかったことを、「本当にやってみたいなあ」と思えるようにもなってきました。実際に書くという行為が、波及効果をもたらしてくれる感じがあります。

締め切り思考になる

これが、週2で書いて一番変わったことだと思います。今日の投稿を書き上げた日は、次の投稿のタイマーがセットされるとき。書くのがとにかく遅いので、投稿にかかる時間を計測するようになって、早く書き終えるにはいつから始めればいいか? どういう風に取り組んでいけばいいか? を考えるようになってきました。

今はまだ全然うまくいかず、月、木曜投稿を目指しているのですが、投稿はいつも深夜です…。ただ、自分の行動を観察してうまくいかない原因をつぶそうとしたり、試行錯誤を繰り返すようになってきたなあと思います。

 

デメリット

書くのが遅いので、生活が乱れた

書けるまで寝られず、私は書くのがべらぼうに遅いので、睡眠サイクルが乱れ始めました。書けない焦りでイライラして、食生活も乱れていくという。生活リズムが悪化して、2週間にしてすこしずつ暗雲が立ち込めています…。

予想以上に時間がかかってしまう

思っていたものを書くまでに、すごく時間がかかってしまいます。思っていたほど書くことがまとまらなかったり、内容はまとまってもブログを実際にアップするまでにすごく時間がかかってしまうという。さらに、もともとぐずぐずするタイプで、うまくいかない体験を繰り返せば繰り返すほど、書くことを先送りしてどんどん負のスパイラルにはまるようになってきました。

 

これをうけて、アプローチを変えてみた

変えてみたというより、たまたま始めたメモ習慣がブログの投稿を書くのにとても役立っています。

ある日なんとなく、思ったことや、投稿にいいかもと感じたことをメモに書くようになりました。投稿1つ分の内容をまとめなきゃ、と思うと億劫です。でもなにか思い浮かんだとき、いつか投稿になるかもしれないから、とりあえずこのアイデアのかけらだけメモっておこう、くらいなら手間はかかるけれど、なれれば癖になってきます。

メモに書いた内容をもとに投稿をするときは、先送り思考が緩和される感じがあります。投稿する前、大枠のアイデアをB5のノートにまとめます。事前にアイデアを箇条書きにしたメモがある日には、メモが助走のような役割を果たし、作業がスムーズに進むことが多いです。

また、書く内容のサイズを小さくするようにもなりました。例えば前の投稿では、5ついいなと思ったものについて書こうとしていたところを2つに絞ってみたり。そして、なにか商品について書くとすごい時間がかかってしまうので、今回のようにすこし書きやすいトピックを盛り込んでみたりも。

「書かなければいけない」という意識を、いかに「書きやすい」「これならできる」に変えられるかがこれからの続けるためのカギになりそうです。

 

2週間続けて思うこと

私にはこのやり方が合っていたなと思います。

実は、2018年の一番最初に始めたときは毎日書いていました。結局挫折して毎日ベースではなく、「とりあえず投稿30本を目指そう」というスタイルに切り替えます。このやり方はストレスはなかったけれど、締め切りがないから細部にこだわっていつまでも「公開」ボタンにたどりつかなかったです。

今のやり方は、「書くこと超楽しい」というスピリットからはちょっと離れたところにあります。「書くこと、楽しい!」というようなブログの文をたまに見かけたりすると、これでいいのかなあと真面目に悩みます。

でも自分のなかに規律が生まれ、ほんの少しだけ自己肯定感アップにも役立っている気がして、まあいいかと思ったりもします。なによりこのやり方のよかったことは、うまくいかないと苦しみ、これでいいのかなと悩みながらでも、行動することで、やる前は見えてこなかった道筋が見えてくることでした。

毎日続けるのが合っている人もいれば、期間にはこだわらず記事数を積み上げていくのが合っている人もいる。私の場合は期限をつけて、尻をたたいて、リズムというかルールを作るのが合っていました。

週2のポッドキャストすごいなあと思って、やってみたらどうなるんだろうとずっと思っていました。思うのは、大変だぜ! ということ。だけど、自分で決めて行動してはじめて見えてくる世界があるのだなあと実感します。

便利だったノート:コクヨのカットオフノートと無印の雑記帳

私はよくメモを取る人なのですが、最近1週間はメモの取り方を変えてみました。

日々浮かんでくるアイデアは、ロディアの一番小さいNo.11のメモ帳にまとめます。そして外出するときはロディアのメモ帳と、もしなにか思いついたらより広いスペースに書き留めることができるよう、できるだけ無印のA5の雑記帳を持ち歩くようになりました。無印の雑記帳が、軽くて携帯しやすくていいです。そして今はロディアに落ち着いたのですが、ロディアの前に使っていたコクヨのノートもいいなと思ったノートでした。

そこで、今日は最近いいなと思った無印と、ちょっと前に使ってよかったコクヨのノートについて書いてみます。ロディアも大好きですが、有名すぎて今更書くこともないか…と思うのであえて書きません…。

コクヨのカットオフノート

ノートにはページにミシン目がついていて、切り離すことができます。サイズは、A7変形、B7、A6(5号)、セミB5(6号)があり、写真はA7変形です。

よくこのノートをポケットに入れて使っていました。安いのと、必要なくなったら切り離せばいいかと思えるからかなんでもガシガシ書け、ちょっとポケットに入れておくと便利でした。途中からすぐメモを取れるよう、メモを書くページを表紙のようにしてノートを折り返して使っていたら、ノートのミシン目がちょっとだけ切れていることもありました。そのため場合によっては、注意が必要かもしれません。

ただ、ちょっと切り離したいときってたまにあって、そういうときに便利です。書いたメモをそのまま切り離して使うことが多い方や、切り離したり普通のメモとして使ったり、両方の機能を求める方に使いやすい1冊だと思います。

https://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/campus_others/#note

 

 

無印良品の雑記帳

左側の写真が本の表紙側で、右側が本の裏表紙側。

私は荷物は軽量化したくて、でもメモは持ち歩きたい人でした。そんなある日見つけて感動したのが、無印の雑記帳。

サイズはA6とA5があり、値段は税込みでA6が39円、A5が49円。色というか種類も未ざらしと半ざらしがあります(上の写真は半ざらしです)。

https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4550002185060

https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4550002185107

無印良品のネットストアを見てみると、未ざらしは梱包用紙としても使用される紙で、半ざらしは封筒などに使われる紙ということ。

封筒と半ざらしノートを並べてみると…。

ページはA6もA5も32枚(64ページ)で、ノートは2点のホッチキス止め。

なによりありがたかったのが、重量はA6が27g、A5が54gということ!(※家のスケールで測定したため、数グラムの誤差はあるかもしれません)。家にあった2冊のメーカー違いのほぼ同じ枚数のA5のノートが100g程度なので、とにかく軽いです。普通のノートより紙がすこし薄めで、薄めの紙がホッチキス止めされ手軽に書けるノートという印象です。

軽い分、実はノートに表紙がありません(!)。無印良品のサイトには、「引き裂きに強く、消しゴムや消せるボールペンでこすった際にも破れにくい丈夫な紙なので、表紙をつけず1ページ目から書き出せる仕様にしました」と書かれています。

使ってみて、普通のノートより裏側にすこしすけやすいかな、消せるボールペンを使って消すと、ちょっと紙が普通のノートよりぷかぷかしやすいかなという印象はあります。また表紙がない分、紙は簡単に折れてしまいます。

でも全部をひっくるめても、普通のノートより気軽に持ち運びができて、安いからガシガシ気兼ねなく使えるので好きです。ただ折れるとへこむので、軽いノートカバーにはさんで使っています。

ノートは紙自体薄めで表紙もないので、手帳の間にちょっとはさんでメモとして使うこともできる気がします。

 

さいごに

メモにいろんなことを書くので、切り離したいことが多かったです。でもリングメモが苦手なので、普通のノートで破ったあとが残らないノートないかなあと探していました。同時に、ノートは持ち歩きたいけど軽い荷物が好きでした。ノートを持ち歩かないこともしょっちゅうで、でも持ち歩かないことで後悔することも多かったです。

今日はそんなときたまたま見つけて使って、おお! と思ったノートについてまとめてみました。気になるノートがあったら、よかったらチェックしてみてください。

こんまりメソッド実践直後の、心理的・行動上の変化

先日、1週間かけて部屋をひっくり返して、こんまりメソッドに挑戦しました。シュレッダーが壊れており、紙ごみは部屋に大量に残っています。けれどそれ以外は部屋がすっきりして、片づけの前と後で気持ちもだいぶ変わりました。

試してみて、感じたことはいろいろあります。そのなかで今日は、実践直後の心理的・行動上のいくつかの変化についてまとめてみます。

 

自分の価値観が明確になる

片づけのあと残るものは、自分がぼんやり好きだと認識していたものばかり。ぼんやり「自分ってこういう人間だよな」と思っていた部分がくっきりとして、自分が大切にしているもの、価値を置いていることが明らかになりました。

例えば、多く残ったものは亡くなった祖父が小さいころくれた木工製品の置物や小物類。祖父が大工で木のものに囲まれて育ったため、木工製品が好きで愛着があります。小物のなかでプラスチック、陶器類、人形などは処分したものも多いけれど、木工製品だけは大半を残しました。なんとなく木でできたものが好きなことは知っていたのですが、片づけを経てくっきりと自分の好みを認識するきっかけに。

また「価値観」という観点では、以前からミニマリスト寄りだったけれど、よりその方向に進もうと思う機会に。ものがすくない空間のほうが落ち着くことに気づき、ほんとうに必要なものだけ大切にして生活していきたいなと今は感じるようになりました。

 

意識が「昔」から「今」にうつる

私は近藤さんの著書の『イラストでときめく 片づけの魔法』を読みました。こんまりメソッドは片づける順番があります。衣類、本類、書類、小物類、思い出の品の順です。本のなかでも衣類→本類…の順で章立てされ、服ならトップス、ボトムス、ワンピース、靴下…とそれぞれの片づけのコツが解説され、片づけをしながら読み進められます。

本では衣類、本類など片づけ対象が変わる、つまり章が変わるとき、近藤さんのコメントが1ページの真ん中に数文だけ書かれたページが2ページ続きます。思い出の品の章の前の1ページ目のコメントは、こんな風に始まります。

結局、捨てられない原因を突き詰めていくと、じつは二つしかありません。
それは「過去に対する執着」と「未来に対する不安」。
この二つだけです。

思い出の品の片づけをしているとき、ほんとうにこの言葉の通りだなと感じました。

人にもらったものや、大切な人にもらったものは、処分したい、したほうがいいとわかっていても、処分しづらかったです。なぜ捨てられないのかと考えたとき、私の場合は、過去のよかった時間がなくなってしまうように思えたり、同時によかった思い出にすがって未来の不安を見ないようにしているところがあるからでした。でも執着や不安に気づき「そのときはもう終わった、過ぎたんだ」と理解することができたら、自然と手放すことができました。そうしたら、自然と視点が「昔」ではなく「今」に向かうようになっていきました。

また前の項で書いたように、自分の関心や価値観が明確になります。そのため、今までは埋もれてた「自分のこうしたい」に自然と近づこうとするようになります。

本では、はじめに課題が出されます。「どんなおうちで、どんな暮らしをしたいのか、理想の暮らしを考える」というものです。私は片づけを始める前、こんな部屋で過ごしたいというイメージがいまいち浮かんでこなかったです。でも片づけ終わってから、次第にイメージがわいてくるようになりました。

この例をはじめ、結果的に、片づけることで意識が自然と「今」と「未来」に向くようになった感覚があります。

 

気持ちがよい、心地がよい

目でとらえるものの影響力の強さを実感します。

まず、部屋がきれいになって、部屋のごちゃごちゃがなくなって単純にすっきりします。

それから部屋のなかに「なんとなくいやだなあ、気になるなあ」と思うものがけっこうありました。日々使う食器には好きだけど割れ目が多いものも多く、使う度になんとなくモヤッとしていました。思い切って処分し大切にしたいものを新たに使うようにしたら、心地がよいです。そういう「なんとなくいや」を全部なくし、こうすると落ち着くを増やしたら、生活空間が前より好きになり、心地よい時間が増えました。

 

ものを大切にするようになった、買うものを選ぶようになった

必要だからと「とりあえず」「なんとなく」買ったものは、ないと困るもの以外は処分しました。「とりあえず」買ったものは好みじゃないけど、そのときないと困るから、という理由で買ったものが多いです。そのため、ものに対する「ときめき」はなく残したいという感情も起こらず、結果的に処分する方向に。

ものによっては、使えるのに処分することを選んだものもたくさんありました。

歳を経ているから変化はあるとはいえ、捨てるというのは精神的にけっこうこたえました。

ただ、だからこそ、もう今回のようにものを捨てたくない、ほんとうに必要なもの、長く手元に置きたいと思うものだけを手元に置き、大切にしようと思うようになりました。そのため、「とりあえず買おう」は減り、なにか代用できないか? ほんとうに必要か? を前より考えるようになったと思います。

 

さいごに:こんまりメソッドに対して思うこと

本のエピローグの最後にこんな言葉があります。

もし今、あなたが、日々心になんとなく感じている不安があるのなら、私はやっぱり、片づけすることをおすすめします。

私は現状を変えなければ! という思いと、「自分の部屋、なんとなくいやだな」という気持ちが募って、片づけを始めました。

近藤さんは著書のなかで、こんな風に書かれています。

「片づける」ということは、イコール「これまでの人生に片をつけ、人生の次の準備をすること」。
つまり今のステージに片をつけることで、人生の次のステージが訪れるのです。

その通りだと感じました。

片づけを通じて、自分に対する理解が深まった気がします。ときめくもの、残したいと思うものを残す過程で、自分が大切だと思っているもの・ことが必然的に見えてきます。そうして片づけを起点として、これからどうしていきたいかがほんのすこし見えてきました。

私はこんまりメソッドがなんとなく頭の片隅で気になって、なんとなく片づけをしたほうがいいんだろうなと思っていて今回勢いで試しました。私には合っていて、心理的な効果も大きかったです。

ときめきを大切にするというアプローチは、合う人と合わない人がいる気がします。ただ、私と同じようになんとなく気になるんだよな…という方は、近藤さんの著書を読んだりされるのもいいのではないかと感じました。

Amazon Prime VideoのInside Jokesがおもしろい

お笑いが好きです。気づけばこのブログでは、コメディアンがやっていること(本やポッドキャストなど)についての投稿が多い。今回もまさしくその路線です。Amazon Prime VideoのInside Jokesというドキュメンタリーがおもしろいので、今日はそのことについて書いてみます。

 

最初にどんなドキュメンタリーかというと、カナダのモントリオールで開かれるJust For Laughsというお笑いイベントの舞台に立ちたい、売れていないコメディアンを追うシリーズです。登場するのは、自らの人生に真っ直ぐに生きている7人のコメディアンたち。化学の学位を持っていてその道に就職できたけどしなかった人、かつてはワシントンD.C.で政治の仕事をしていた人、子どもがいて年間50週は外で巡業活動をしている人、昼間は家具店で働いて夜はコメディアンとして活動する人などなど…。アメリカのロサンゼルスと、ニューヨークで活動する7人たちのコメディアンを追っていきます。

 

シリーズは全6回で、追っている7人全員が本選に進めるわけではありません。選ばれる人、選ばれない人、それぞれの活動を追っていきます。ドキュメンタリーでは、自分たちでジョークを披露する場所を作ったり、そのためにチラシを配ってまわったりしている姿も映し出されています。その姿を見ると「ああ、この人たちは本当に無名なんだ」ということがわかってきます。察するに生活はあまり楽そうではない。でも彼らは生活が楽かどうかじゃなくて、自分が信じていることをやることで生きています。

 

なんでこのシリーズにそんなに惹かれるているのだろうと考えると、思い当たるのは彼らの正直さでした。シリーズでは、コメディアンとして活動している彼らを追うと同時に、私生活も追っていきます。ガンガンにすべっているところも撮られまくっているし、住んでいる家での撮影もあるし、実家の家族も登場します。家族のサポートも描かれているけれど、ある人のお父さんに会おうとするも連絡が来ず泣いてしまう場面や、また別の人の両親にゲイとしての自分をうまく受け入れてもらえず苦しんでいるところや、会って受け入れてもらおうと対話をする様子も撮られています。オーディションに受かれば、カナダについたあとの浮かれている感じの様子も映し出され、でも同時に、今までの何倍ものサイズの客席にひるみ、不安をいっぱい感じている様子や、本番前の張り詰めた空気感も伝わってきます。

 

とにかく、喜び、悲しみ、不安、コメディにかける覚悟や、自分の感情がまとまらずごにゃごにゃっとした感じなど、人らしい感情がまるっと映像から伝わってくるのです。個性豊かで、みんなそれぞれの方向からコメディにはまっすぐで、正直です。人らしい感じと、まっすぐに目的めがけて進んでいく感じが見てて、心地よいです。

 

多くの感情が感じる環境は違っても理解ができることで、共感できると思います。国籍は違っても、感じることは一緒なんだなあということをしみじみと感じるドキュメンタリーじゃないかなあと思います。

 

私はこの人たちのように、まっすぐに生きていない、意志を持てていない、捨て身で挑めていない…。彼らの覚悟、意志が伝わってくる言葉を聞くたびに、こんな感じのことを思っていた気がします。一番最初に見てからしばらく経っていますが、節目節目に思い出してしまうドキュメンタリーです。

 

おもしろいのでぜひ見てみてほしいです!