出あえてよかった1冊『私とは何か 「個人」から「分人」へ』/平野啓一郎

「この本に出あって人生が変わりました!」

私は今までそんな本に出あったことがありませんでした。でも、今回の本は「人生を変える」は大げさですが、今のところ人生で一番ものの見方を変えてくれた本です。

かつて私は「本当の自分」を探そうとするも最終的には混乱し、自分にうまく肯定感を抱けず苦しんでいました(後者は現在も格闘中だけど…)。本には当時の私の苦悩と重なる話も多く出てきて、それらに対する新しいものの見方を「分人」という形で提案していました。

はじめは馴染みのない発想でしたが、読み終わる頃にはずいぶん気が楽になりました。「分人」という発想を通じて、過去の自分が肯定されたような感覚になり、新しいツールを手に入れたような気持ちになったのです。「もっと早く知ることができていたらなあ」と思いました。

今日は救われた一冊について、感じていることを書いてみたいと思います。

嫌いな自分を肯定するには? 自分らしさはどう生まれるのか? 他者との距離をいかに取るか? 恋愛・職場・家族……人間関係に悩むすべての人へ。小説と格闘する中で生まれた、目からウロコの人間観!

…というのがAmazonの紹介文です。で、どうすればいいの? という話ですが「分人主義」を導入することを著者は提案します。

よく自分のなかでひとつの確固とした「本当の自分」があるみたいに言われます。でも著者は「本当の自分」など存在しない、あるのは対人関係ごとに生まれる自分だけと主張します。中学時代の友達、大学時代の友達、会社の同僚、会社の同期という具合に様々な人間関係が存在し、人はそのつきあいごとに異なった顔を見せます。その対人関係ごとに生まれる自分=「分人」と定義し、「私」の分人は対人関係の数だけの存在するというのが本旨です。本では分人という考え方を導入し、恋愛、仕事、家族、様々な分野を改めて見つめていきます。

「好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい」

この言葉に一番救われました。こんな流れの文章の一節です。

 人は、なかなか、自分の全部が好きだとは言えない。しかし、誰それといる時の自分(分人)は好きだとは、意外と言えるのではないだろうか? 逆に、別の誰それといる時の自分は嫌いだとも。そうして、もし、好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。
 それは、生きた人間でなくてもかまわない。私はボードレールの詩を読んだり、森鴎外の小説を読んだりしている時の自分は嫌いじゃなかった。人生について、深く考えられたし、美しい言葉に導かれて、自分より広い世界と繋がっているように感じられた。そこが、自分を肯定するための入口だった。
(前略)誰かといる時の分人が好き、という考え方は、必ず一度、他者を経由している。自分を愛するためには、他社の存在が不可欠だという、その逆説こそが、分人主義の自己肯定の最も重要な点である。(中略)
そうして好きな分人が一つずつ増えていくなら、私たちは、その分、自分に肯定的になれる。否定したい自己があったとしても、自分の全体を自殺というかたちで消滅させることを考えずに済むはずだ。

はじめに自分の自己肯定感が低かったと触れました。私の場合の原因は、中学・高校時代にクラスの雰囲気に馴染めなかったことにあった気がします。どこか自分を否定された感覚がして、自信がどんどん持てなくなってしまう。状況は改善するけれど、苦い記憶は残ります。

「ダメな自分」がいつも頭に先に浮かんで、自己を否定し自己評価の低い自分ができあがる。焦点を当てるのはいつも暗い部分。いいことよりネガティブなことに目が行くので状況は改善しない…。

でも「好きな分人を足場にすればいい」という内容を読んで、「そうかあ」と思えました。今読むと「好きな自分を活かす」というのは当たり前に感じるのですが、当時はあまりにもダメな自分を足場にしてしまって、その発想自体がなかったのです。思考は「ダメな自分を直さないと」から始まっていたのです。

このとらえ方を知ってからは、肯定できる分人ができたので過去のとらえ方がフラットになりました。自分を思いっきり分けることが、それを可能にしたのだと思います。かなり「分人」というものの見方に救われました。

「本当の自分」を探そうとすればするほど、自分がわからなくなる。自分に肯定感を持ちたくて、楽しく日々を過ごしたくても、一部のうまくいかない人間関係を思い出すと、目の前にすると、そう思えなくなる。もし目の前にそんな状況があるのなら、この本を読んでみることも一つの選択だと思います。

もしかしたら読んだそのときが、その本の内容を活かすタイミングではないかもしれない。ただ、今までの思考でうまくいかないのならば、頭の片隅に残しておいて損はない発想だと感じます。

いろんなジャンルの本を読み始めて感じること

文章術の本を読んでいるとよく「手当たり次第に本を読みなさい」という言葉に出くわします。

半年前に何度も同じ言葉に出あい、そのことがきっかけで、今は過去の自分からは考えないほど様々なジャンルの本を読むようになりました。この読書法を始めて半年がたち、文章力が向上したかというと「うーん」と思います。ただ、最近はいい意味で本との接し方が変わったなあと感じています。

「手当たり次第の読書」を始める前は、なぜ手当たり次第読むことがよいのか理由がいまいち理解できませんでした。そこで自分の当時の疑問に答える形で、(文章力のことは置いておいて)少しずつ感じ始めた変化・効果について書いてみたいと思います。もし私と同じように「なんで手当たり次第がいいんだ?」と思った方がいたら、その一つのケーススタディとして読んでもらえたら幸いです。

変わってきたこと

本のジャンルごとの境界線があいまいになった
本が身近な存在になり、よく本を読むようになった

私が半年で読んだ分野をまとめると、小説、エッセイ、自己啓発、新書、人文、実用書が含まれると思います。本には様々なジャンルがありますが、私の中でそれぞれは大きく独立していました。ほとんど小説と自己啓発の間の本を行き来するくらいで、他の分野の本を読むのは少しハードルが高かったです。

それがいろんなジャンルの本を読み始めるにつれて、個々のジャンルの境界があいまいになりました。「本」という一つのくくりだけになって、何のジャンルかはさほど大切ではなく、タイトル、表紙に惹かれたら手を伸ばすようになりました。それを繰り返していくと、様々なジャンルに関心が持てるようになり、結果的に本を読む量が増えてきました。

本の言葉に救われることが増えた
本を読み返すようになった

新書やエッセイなど、著者の主張が書かれている本を読めば、「そういう考え方をすればいいのか」「そう考えるのか」と新しいとらえ方を発見することが多いです。対して、小説を読めば、「あ、こんな風に感じているの私だけじゃないんだ」という「そっか、よかった」とほっとする機会が多い。

本を読む量が増えると同時に、気持ちの部分、思考の部分で「ああ、あの一節よかったよなあ」という言葉が増えてきました。そしてそれらは、落ち込んだとき、物事を考え直したいときの自分を支える言葉になり、何度も本を読み返すようになりました。今までは本を読み返すことなんてほとんどなくて、「この本に救われました!」みたいな言葉が理解できなかったのに…。

頭のなかのいろんな部分が刺激される 

新書ならば論理性、小説やエッセイならば感受性がされ、それが楽しくて心地よいです。食事をするとき炭水化物の選択肢が、ご飯、パン、麺、いもとあるような感じと少し似ている気がします(違うか…)。ずっとごはんを食べ続けていると飽きてきてしまうけれど、気分に合わせて違うものを選んで楽しむ。そうすることで気持ちを切り替え、それぞれもより楽しんでいける感じみたいな…。

楽しいことが連鎖し、もっと本を読むようになる

現在の効果は「本をよく読むようになった」です。1つのとっかかりが別のとっかかりを導き、その輪がどんどん広がっていく。いいことがどんどん連鎖していく感じです。

でも、もし文章術と関連したことを何か入れるとしたら、文章が前よりスラスラ出てくるようになった気がします。人の言葉でいいなと思った表現を、自然に借りている感じがあります。そのため、このやり方を繰り返していくと意図しなくても、文が自然に出てくる状態になってくるのかなあと感じます。

ところで、私にとって文章術のバイブルのような本に辰濃和男さんの「文章のみがき方」という本があります。そのなかで乱読が薦められているのですが、読み返してみるとこんな風に書いてありました。

異質の本を読むことで、私たちは第一に自分の世界をひろげることができます。
第二に、未知の世界に出あうことで脳の働きに刺激を与えることができます。

自分に起こった変化は辰濃さんの本を読む前に考えたのですが、まさに書かれている変化が起こっている! と驚きました。本の内容から理解するのもいいですが、やっぱり自分で体得したものはまた格別ですね。

果たして文章力向上に、手当たり次第読書法は効果があるのか。その効果のほどは今の私にはわかりません。だけど、辰濃さんの言葉を借りれば本当に世界が広がりました。もっと早く、いろんな本を読んでいればよかったなあと感じています。もし手当たり次第の読書、乱読に興味がある方は、是非試してほしいと思います。

又吉直樹著『劇場』を読んで

又吉さんの『劇場』を読んだので、その感想を書いてみようと思います。先日感想文を書いた『火花』同様、ネタバレが含まれます。もし内容を知りたくない人は、戻るボタンを押してください!

いいですかね。

紹介文はいつものようにAmazonから引用させてもらいます。

演劇を通して世界に立ち向かう永田と、その恋人の沙希。夢を抱いてやってきた東京で、ふたりは出会った――。『火花』より先に書き始めていた又吉直樹の作家としての原点にして、書かずにはいられなかった、たったひとつの不器用な恋。夢と現実のはざまでもがきながら、かけがえのない大切な誰かを想う、切なくも胸にせまる恋愛小説。

本を読んだ直後は、心はどんより、ずっしり重くなりました。理由は主人公、永田のありかたにあったと思います。永田はある意味で、自分自身の価値観に苦しんでいるように見えました。それが自分に対する自信のなさ、他人への嫉妬から来るものなのか、人に受け入れられないことから来るものなのかわかりません。ただ他と交わらず、他を認めようとしない姿勢が、彼自身をより一層苦しめ、更に自分を甘やかしている姿勢にも結局は苦しんでいたような気がします。

私がどんよりしてしまった理由は、自分と重なるものがたくさん見えたからだと思います。自分に甘く、それで結局自分が苦しみ、自分のありかたに苦しんでいく姿。読みながらどんどん主人公、もしくは自分にうんざりしていってしまいました。

そんな感じで気持ちがあまりにどんよりしていたので、正直今回は感想文を書きたいとも思えませんでした。でも、どうしても前回『火花』を読んで感じたことを考えると、「どんより」を目的とした小説には思えませんでした。

そこで、パラパラと印象に残った箇所を読み返してみました。すると「どんより」以外の自分が惹かれた場面を少しずつ思い出してきました。そうやって読み直したあと浮かんできた言葉はなぜか「多面体」でした。

例えば、作中の永田の純粋な言葉にハッとさせられました。永田が主宰している劇団の元劇団員が小説を出版したときのことです。2人の関係性は良好とは言えず、お互いを強烈にメールで罵り合い、永田は元劇団員の小説をボロカスに言います。現実世界での出来事だったらもう一生会うことはおろか、連絡すらとらないような内容でした。それでもあるきっかけで2人は再会し、永田は自分が送ったメールの内容を一部撤回、謝罪し、再度読み直すと言い始めます。永田はこんな風に言っています。

「いや、絶対読む。本当に申し訳ない。でもこれだけは言わせて。なんでもかんでも笑い飛ばす必要なんてないから。しんどいことは、しんどいでええし。最終的に笑えたら良いと思ってるから」

普通にいい言葉だなあと思いました。永田はいろいろとねじ曲がったところがあるので、それだけに「そうかあ」と思いました。

そんな風に少し見方を変えてみると、作中初期の沙希と永田のやり取りでいいなあと思ったところもあったなあと思い出します。たとえばこんなやり取り。

「ねえ、空に向かってガム吐いたことある?」

勝ち誇った顔で僕を見上げる沙希の髪からは良い匂いがしていた。

「ないよ」

「すごい怖いよ。上から落ちてくるからね」

沙希は嬉しそうに言った。

「あたりまえやん。でも六年生になるまでガムは全部のみこんでた」

「だめじゃん」

「ええねん」

およそどうでもいいような会話を繰り返しながら、歩き続けた。こういう時間が僕は好きだった。

なんかあったかいなあ、と。でも、そうかと思うと「この人ほんとに沙希と一緒にいたいんかな」と思う描写もでてきたりします。沙希を大切に思う感じは作中から感じとれるのだけど、内面で思っていることと、外に出てくる態度がチグハグに感じることも多かったです。話が進むにつれて沙希とのやり取りを見ていると、「永田、どうしたいんだ?!」ともどかしい気持ちになっていきました。

ある場面でこんな言葉がありました。

沙希が日常で見せる、あらゆる感情がない交ぜになった表情。発する言葉とは矛盾する感情の気配が表情から読み取れることがあった。ああいう迷いのようなものを排除して一貫した思考を持つ登場人物が存在してもいいのかもしれないけれど、迷いを抱えたまま動く人間の面白さのようなものを表現できないだろうかと考えていた。

これは永田が今後の作品について考えているとき、沙希の表情を思い出しながら思ったことです。でも、私はこの表現が永田に当てはまるような気がしました。すべてがまっすぐにつながってはおらず、いろいろな要素が混じり合い、葛藤を抱え、恋人に当たり、迷いながら生きていく姿、という意味で。

正直、喜々として読めた小説ではなかったし、永田に好感が持てたとは言い難いです。ただ、バッサリと否定ができるかというとできないなあと思います。沙希に対する永田の感じ方で好きなところもあったし、自分と重なるところもたくさんありました。

本作を読んで感じたことがあります。それは、私は言動に一貫性があって、前に向かって進むこと=「よし」としていたなあということ。もちろんそれができるならそれに越したことはないけれども、果たしてそこまで人は本当に整合性がとれているだろうか、もしくは整合性のとれた生き方だけが答えなのだろうか、と今回の作品を読んでぼんやりと考えてしまいました。

正直、又吉さんの著書じゃなかったら、今回の感想は抱いてないんじゃないかなあと感じています。「又吉さんが書いたものだから」という部分が確実に反映して上の感想になっている気がします。それを思うと「うーん、いいのかなあそれで」と感じてしまいます。難しいところです。

息苦しさを感じるところも多かったです。でも最後にぼんやりと思ったことを考えると、それだけで一つ大きな収穫だったなあと思います。

本の感想文:「火花」/又吉直樹

先週、ピースの又吉さんの「火花」を読みました。今日はその感想を書いてみようと思います。ネタバレがあるので、内容を知りたくない人はここで「戻る」ボタンを!

もういいですかね。

まず読んだ直後は、エンディングが自分の想像していたものと違ったので「いやだったなあ、あのエンディング」とぼんやりと思っていました。

いつもなら思考はここでストップするのですが、今回はなんとなく「じゃあ、なんでいやだったんだろう」と気持ちをもう一歩掘り下げてみました。するとだんだん「ああ、だからいやだったのか」と自分の気持ちを整理することができ、それにつれて本への理解も深まっていくことになった気がします。

今日は、そのあたりのことも含めて書いていけたらと思います。

本の内容はAmazonから引用させてもらいます。

売れない芸人の徳永は、天才肌の先輩芸人・神谷と出会い、師と仰ぐ。神谷の伝記を書くことを乞われ、共に過ごす時間が増えるが、やがて二人は別の道を歩むことになる。笑いとは何か、人間とは何かを描ききったデビュー小説。

この本を読んで感じたテーマを一言でまとめると「受け入れる、そして」でした。受け入れるのあとの「そして」とは何だというところですが、それは一旦置いておきます。

本を読んだ人なら、「受け入れる」という言葉に納得はできるのではないかと思います。徳永の芸人になるという夢はかなわなかったのですから。本は全然売れない芸人というところから始まり、少しずつ事態が好転し始め、物語中後盤ではテレビへの出演も果たしていく様が描かれています。でもその状態が続くことはなく、少しずつ仕事も減っていき最終的に徳永は芸人をやめてしまいます。本はそんな徳永の10年の人生を追っていきます。

目の前に立ちはだかる圧倒的な事実を、自分ではどうしようもできない現実を、受け入れる。

そんな感覚がしました。私はどこかで徳永の人生が好転し、自分自身も希望を持ちたいと感じたがっていた気がします。だからこそ主人公の人生が好転しないのは悲しくて「いやだなあ、あのエンディング」というところにつながっていってしまった。

でも、と話は続きます。そして、それが私が本を読んで感じた「受け入れる、『そして』」の部分につながってきます。まず私が「そして」と付け加えたくなるきっかけになった一節を引用させてください。

必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう? 一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。

外から見える徳永の10年を一言でまとめると「徳永は芸人として活躍したかったけど夢は実現できず、結果的に違う仕事についた」になってしまいます。でもそれはただのあきらめではなく、感じきった上での受容であると感じました。

私もかつて何かをあきらめたことはあったけど、彼と同じように行ききってあきらめているだろうか、彼のように人生を得たことがあるだろうかと考えたら、答えは「NO」でした。徳永はちゃんと感じきって、進み切った者だけに見える世界を見ているのです。物語のよしあしを、外から見える結果だけで内容はジャッジできないのだと思いなおしました。

そんな風に思ったあとで再度読み直してみると、最後のこんな一節が目に留まります。

生きている限り、バッドエンドはない。僕達はまだ途中だ。これから続きをやるのだ。

やはり、この物語は「受け入れる」だけの物語ではなく、「そして」の物語なんだと思った瞬間で、本の内容が腑に落ちた瞬間でした。このときには、はじめに感じたいやな感じも消えていました。「火花」は叶えたかった夢を実現できなかった話ではなく、人生には常に続きがあると教えてくれる本になった気がします。この箇所はのちに近畿大学での又吉さんのスピーチ動画を見たとき、さらに納得しました。

というのがざっくりとした感想なんですが、ほかにもマイナーなことをいくつか。ネタやんと、めちゃめちゃ笑い倒したところもあったし、何度も読み返したい言葉にも出あえました。それから自分が普段感じているけれど、うまく言語化できないことをスッポリと言語化されている表現が多かったなあと思います。風景の描写とか、心の闇の部分とか…。自分のなかに表現の単語帳があるとしたら、本を読んでかなりアップデートされた気がします。読めてよかったし、きっと読み直す1冊です。おもしろかった~。

今は二作目を読んでいます。そのこともまた、書きたいと感じたら書いてみようと思います。

本の感想文:「まんがで変わる! 仕事は楽しいかね?」

「仕事は楽しいかね?」という本。自己啓発の本棚で一度は見たことがある人が多いのではないでしょうか。もしかしたら、この表紙のおじいさんで認識している人も多いかもしれません。

私も長年本の存在は知っていたのですが、読みたいと思ったことはありませんでした。「楽しいかね」という問いかけと、表紙のおじさんの雰囲気がどうも好きになれなくて…。でも先日Amazon Primeで読み放題の書籍の一覧を見ていると、この本の漫画本を発見! 読みたいとは思わなくても、長年なんとなく気になり続けていた1冊だったので、漫画なら…と先日ふと読んでみました。そしたら、おもしろかった…。表紙のおじさんのイメージ、漫画にはなかった…。過去の自分の決めつけに後悔…。

読んでよかったなあと思えた本だったので、今日は感想を書いてみようと思います。

本の内容はAmazonから引用させてもらいます。

デザイナーを夢見ながらカフェでアルバイトを続ける奈津。漠然とした不安と焦りのなかで、気がつけば32歳。不思議な老人マックスとの出会いをきっかけに、今いる場所でできることを試し始めることで、新たな夢へとつながっていく―仕事観を揺さぶる魔法の本、ついにまんが化!

本の根幹のメッセージは「変わり続けること」にあると思います。「今日の自分は、昨日の自分とは違う新しい自分になる」。本ではそれを仕事で当てはめるとどうなるかということを、奈津という主人公の人生と、主人公の働くカフェの状況を描きながら伝えていきます。

私が本を読んで感じたことは、次のようなことでした。

目指すのは何かを大きく変えることでも、何かを成功させることでもない。変化を起こすこと、それ自体が大切なんだ。

本を読んで響くところは人によって違うと思いますが、私の場合「変化を起こす」というところが一番響いてきました。それは私に「変化を起こしたいとは思っているけど、結局起こしていない」という背景があったからだと思います。

私の場合は、何かを書きたいなあという漠然とした思いがありました。でもその反面で頭の中では、書くならばしっかりと完成されたものを作らなきゃとか、言いたいことが明確じゃないととか、いろいろな理屈が頭のなかをぐるぐるしていました。結果的には「こうすべき」「こうあるべき」の思いが肥大化して、書きたい思いはあるけど理屈に思いがのみこまれて結局書かないというのが常態化していました。

本書はそんな状況のなか読みました。漫画の内容自体は、そんなうまくいかんだろと思うところもあるし、こんな恵まれた環境ないよと思うところもあります。ただ、解説文のなかで要所要所突き刺さる言葉がありました。

いくつか引用させてもらいます。

 「仕事がつまらない」「毎日が単調に過ぎていく」————そんなふうに感じている人は、おそらく知らず知らずのうちに自分自身も進んで単調な行動をしているはずです。 (中略)「単調な毎日」といっても、まったく同じ一日というものは存在しません。自分の体調や天気、社会情勢、同僚の服装、職場で交わされる会話、その日会うクライアント、前日の夜に見たテレビ———日々、さまざまな変化が自分や周囲に起きているはずです。同じように見えている風景は、実は違うもので、単に自分が「同じように」見ているにすぎないのです。

 試してみても、すべてがうまくいくわけではありません。もちろん、失敗することは何度もあるでしょう。しかし、何かを試してみる限り、試す前と同じ場所に戻ることは絶対にないのです。試す過程で、必ず何かを学ぶのですから。

これらの説明を読んだときは、ハッとしました。特にはじめの引用は、「ああ、そうだなあ」としみじみと納得してしまいました。気づきそうなのに気づかない。色眼鏡をかけていたことにはじめて気づきました。

本を読んで「出発地点はへたでもなんでも、とにかく『何か』を始めてみることなんだ」と素直に思いました。私の場合であれば、考えあぐねながら1日1日を過ごすより、見切り発車でいいからなんでも書いて、いろんなところにぶつかって、そこからもっとしっかりしたものをつくっていけばいい。書かない限り何もはじまらない。そんな気づきを与えてくれました。そして結果的に、ずーっとはじめたいなあと思いだけで止まっていたブログもこうやってはじめることができました。いろんな意味でいいきっかけになった一冊です。

Amazon Primeを利用している人で、私のように本のタイトルに何か思ったり、なんとなく気になっている人がいたら、読んでみるのもありかもです。1時間もかからずに読めるくらい、サクサク読める内容でした。

はじめまして

ブログをはじめました!

ドメインとサイト名を何にするか、結構悩んでいました。そんなことを考えながら、味噌汁にそうめんを入れてふつふつと煮込んでいる鍋を見ていたら「あっ、日々の生活だ」と急に思い立ちました。ドメインが英語なので、サイト名もついでに英語にしてみました。

内容としては、日々の生活につながることを書いていけたらと思います。

今のところ本の感想や、旅先でのことを書いていこうかと思っていますが、実はまだまだ発展途上。書きながら、手探りでいろいろ発展させていけたらなあという感じです。

よろしくお願いします。