いろんなジャンルの本を読み始めて感じること

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文章術の本を読んでいるとよく「手当たり次第に本を読みなさい」という言葉に出くわします。

半年前に何度も同じ言葉に出あい、そのことがきっかけで、今は過去の自分からは考えないほど様々なジャンルの本を読むようになりました。この読書法を始めて半年がたち、文章力が向上したかというと「うーん」と思います。ただ、最近はいい意味で本との接し方が変わったなあと感じています。

「手当たり次第の読書」を始める前は、なぜ手当たり次第読むことがよいのか理由がいまいち理解できませんでした。そこで自分の当時の疑問に答える形で、(文章力のことは置いておいて)少しずつ感じ始めた変化・効果について書いてみたいと思います。もし私と同じように「なんで手当たり次第がいいんだ?」と思った方がいたら、その一つのケーススタディとして読んでもらえたら幸いです。

変わってきたこと

本のジャンルごとの境界線があいまいになった 本が身近な存在になり、よく本を読むようになった

私が半年で読んだ分野をまとめると、小説、エッセイ、自己啓発、新書、人文、実用書が含まれると思います。本には様々なジャンルがありますが、私の中でそれぞれは大きく独立していました。ほとんど小説と自己啓発の間の本を行き来するくらいで、他の分野の本を読むのは少しハードルが高かったです。

それがいろんなジャンルの本を読み始めるにつれて、個々のジャンルの境界があいまいになりました。「本」という一つのくくりだけになって、何のジャンルかはさほど大切ではなく、タイトル、表紙に惹かれたら手を伸ばすようになりました。それを繰り返していくと、様々なジャンルに関心が持てるようになり、結果的に本を読む量が増えてきました。

本の言葉に救われることが増えた 本を読み返すようになった

新書やエッセイなど、著者の主張が書かれている本を読めば、「そういう考え方をすればいいのか」「そう考えるのか」と新しいとらえ方を発見することが多いです。対して、小説を読めば、「あ、こんな風に感じているの私だけじゃないんだ」という「そっか、よかった」とほっとする機会が多い。

本を読む量が増えると同時に、気持ちの部分、思考の部分で「ああ、あの一節よかったよなあ」という言葉が増えてきました。そしてそれらは、落ち込んだとき、物事を考え直したいときの自分を支える言葉になり、何度も本を読み返すようになりました。今までは本を読み返すことなんてほとんどなくて、「この本に救われました!」みたいな言葉が理解できなかったのに…。

頭のなかのいろんな部分が刺激される 

新書ならば論理性、小説やエッセイならば感受性がされ、それが楽しくて心地よいです。食事をするとき炭水化物の選択肢が、ご飯、パン、麺、いもとあるような感じと少し似ている気がします(違うか…)。ずっとごはんを食べ続けていると飽きてきてしまうけれど、気分に合わせて違うものを選んで楽しむ。そうすることで気持ちを切り替え、それぞれもより楽しんでいける感じみたいな…。

楽しいことが連鎖し、もっと本を読むようになる

現在の効果は「本をよく読むようになった」です。1つのとっかかりが別のとっかかりを導き、その輪がどんどん広がっていく。いいことがどんどん連鎖していく感じです。

でも、もし文章術と関連したことを何か入れるとしたら、文章が前よりスラスラ出てくるようになった気がします。人の言葉でいいなと思った表現を、自然に借りている感じがあります。そのため、このやり方を繰り返していくと意図しなくても、文が自然に出てくる状態になってくるのかなあと感じます。

ところで、私にとって文章術のバイブルのような本に辰濃和男さんの「文章のみがき方」という本があります。そのなかで乱読が薦められているのですが、読み返してみるとこんな風に書いてありました。

異質の本を読むことで、私たちは第一に自分の世界をひろげることができます。
第二に、未知の世界に出あうことで脳の働きに刺激を与えることができます。

自分に起こった変化は辰濃さんの本を読む前に考えたのですが、まさに書かれている変化が起こっている! と驚きました。本の内容から理解するのもいいですが、やっぱり自分で体得したものはまた格別ですね。

果たして文章力向上に、手当たり次第読書法は効果があるのか。その効果のほどは今の私にはわかりません。だけど、辰濃さんの言葉を借りれば本当に世界が広がりました。もっと早く、いろんな本を読んでいればよかったなあと感じています。もし手当たり次第の読書、乱読に興味がある方は、是非試してほしいと思います。

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