若林正恭著『社会人大学人見知り学部 卒業見込』を読んで

あるとき、アマゾンでオードリーの若林さんの「社会人大学人見知り学部 卒業見込」という本を知りました。めちゃめちゃレビューがいいので気になっていたのですが、なんとなく読む機会を逃してました。

先日たまたまテレビをつけたら若林さんがMCをやっている「激レアさんを連れてきた。」が放映されていました。なぜか「あの本、読もう」と急に思い読んでみたところ、めちゃめちゃよかった。今日は感想をまとめてみます。

あらすじをざっくりとまとめると、こんな感じでしょうか。

2008年12月、M1グランプリで2位になってからオードリーの生活は激変する。大学を卒業後、お笑い芸人を目指し今の事務所に入った著者にとって、そのときがはじめて自分が社会に参加しているという感覚だった。30歳の頃だった。それゆえ「社会」のなかの出来事は、著者にとって驚きの連続だった。本は雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載をまとめたもので、著者が「社会人2年目」のときから始まっている。本では社会人2年目、3年目、4年目、真社会人と、著者の気持ち・考え方の変化、社会との関わり方の変化を追うことができる。

「”確か”なもの」と「小さなノック」

著者が社会人3年目のとき、言葉と感情を選ぶようになったという始まりのエピソードがあります。円滑に社会と渡り歩くために、対外的な反応ばかりに気を取られ、自分の本心はどうでもよくなっていき、自分の素の気持ちがわからなくなっていったそうです。そんなとき、その1年前から始めたボクシングのスパーリングの練習のときのこと。左のボディーブローが、右のわき腹にもろに入ったそうです。苦しい、ムカつく。そんな風に感じながら立ち上がろうとしたとき、その気持ちが”確かな”ものだと気づき、こんな風に思ったそうです。

(痛いのは嫌だけど”確か”なものっていいよね!)

(嘘偽りのない”自分”お久しぶりです!)

・・・・・

本の感想をうなって考えていると、ある瞬間で「あっ、この話と同じだ」と思いました。本に書いてある話は、この話のようにみんな「確かなもの」だと感じたのです。そして確かなものだから、自分の心の扉を何回もコンコンとノックしてきます。

心が揺さぶられた文はいくつもあったのですが、そのなかで一番、影響を受けたのは次の文章でした。

 これまでぼくは起きもしないことを想像して恐怖し、目の前の楽しさや没頭を疎かにしてきたのではないか?
深夜、部屋の隅で悩んでいる過去の自分に言ってやりたい。そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってんだろうけど、20年調査した結果、それただの穴だよ。地上に出て没頭しなさい。

私は若林さんの性格と似ているところがあって、この描写を読んだときはハッとしました。自己肯定感が低くなったとき、何か新しいことに挑戦しようとして不安なとき、一気に底なしの沼にはまりそうになります。本にはこの話以外にも、「ああ、わかるなあ」から「ああ、聞きたくないなあ」まで、たぶんネガティブになりがちな人には「あーわかる」と納得できる話であふれている気がします。

でも、上の話もそうであるように、若林さんの話はみんな「後ろ」ではなく「前へ」と進んでいきます。目の前の現実、自分と対峙し、自分のなかで試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ進んでいく様子が本にはまとめられています。

ちなみに、上に引用したネガティブの穴の底のエッセイの最後の文は、「ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ」です。今まで読んだどんな本でも見たことのない文で、でも著者の言いたいこと、感じたことが感じ取れる文章でした。そして言っていることに納得もできる、だから心を打つ。本にはそんな文章がそこここにありました。

本を読んだあと、本に書かれている言葉をよく思い出します。特に引用した箇所は、ネガティブになりそうなとき「その穴を掘っても何もないよ」と、どこからともなくフッと浮かんできます(笑)。

人にもよるかもしれませんが、いわゆる自己啓発の本を読んで自己改革をしようとしているときより、この本の方がガツンと胸に刺さりました。自己啓発の本はどこか「ふわり」と肩をなでていくようなところがあるけれども、この本には「ああ、わかる」という実感がともなうからかもしれません。そして「ああ、わかる」と思えた人がどう思い、何をしたのかは、自己啓発の本を読むよりよっぽどリアルで、自分のいろんなことにダメだと思えたり、自分を前向きに変えていきたいという思いにつながったりしました。読んでよかった1冊でした。

今は著者の2冊目の著作、「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を図書館で予約して読める日を待っているところです。いつになるのかなあ…。

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