自分には効いた日記を毎日続けるためのコツ

日記を書き始めてたぶん10数年。2年ほど前までは、日記を継続して書くことが苦手でした。オン・オフを含めながら、最近、日記を毎日書き続けるコツがわかってきので、今日はそのことについて書いてみます。

昔から「どうやったら毎日続けられるんだろう」と困っていたので、あえて「毎日書くこと」にこだわった投稿にしました。同じような悔しい思いをしたことがある人がいたら、よかったら試してみてください。

 

一言でもいいからとりあえず毎日書き続ける

日記の習慣を定着させるのに一番大切なことは、ノートを開きペンを走らせること、だと思います。そこでまず大切になるのが、日記を生活リズムに定着させること。疲れて書く気もしないときは、「疲れた」の一言だけでもいいと思います。でも、今日は疲れたからとりあえず1日くらい書かなくてもいいか~は許さないようにします。最優先事項は「毎日ノートを開き、書く」ことだと思うので。数十日経つと、日記を書くことが「普通」になってくると思いますが、ここでこそ油断は禁物です!

 

ルールはゆるめに

自分のなかでいろんなルールを作ってしまうと、書くときのハードルがグッと上がってしまいます。日記を書くときの妨げになっていると感じることがあれば、それらの負担を軽減する、なくす工夫をするとよいと思います。

私の場合はきれいに書かなきゃという意識があったのですが、それをやめました。それからここ数日、よかったこと、反省点、気づき、明日したいことをまとめて書いていたのですが、それも一旦やめてみました。日々の効果はすごく感じるのですが、書くのにすごく時間がかかり日記を書くのが次第に億劫になってきたからです。

自分ルールが、よい影響をもたらしている場合はもちろんそのままで。でも上のように、ルールが日記を書くエネルギーを奪っていると感じる場合は、制限をゆるくするタイミングかもしれません。

 

頭を使うようにする

最初の内容と矛盾しますが、これは日記を書く習慣が定着してきたときの話です。

ほんの数分でもよいので、「疲れた」など何も考えずに書けることだけではなく、1日を振り返ったり、書くことを考えるようにすると、日記を書いている時間に集中、没頭する感覚が生まれる気がします。

それが何にいいかと問われると正直、うーんとなります。ただ私の場合、日記に集中、没頭する時間を持つことで、日記を書く時間に意味を見出せるような感覚が生まれてきました。気持ちが静まり、1日の気持ちの整理もしっかりできるというか。それから将来読み返すときも、参考になるのは頭を使って書いた内容のほうが多いです。

 

内容によっては、客観的に「○○と思っている」と書いたり、箇条書きにする

心がへし折れたり、マックスでへこんだときは主観が入りやすいです。そんなとき、文の語尾を「~と思っている」「~と感じている」みたいに、自分の状況の見方と距離をとるようにしてみます。するとそれまでの主観が多少薄れ、もっとひいた位置から出来事を観察できることが多いです。ネガティブな内容のときは、内容を箇条書きにすると感情の沼にはまりにくい気がします。

もちろんネガティブなこと以外にもよいです。「~と思っている」とワンクッション置くことで、「今こんな風に思ってるんだ、なるほどね~」と冷静になれることが多く、自分の「今」を客観的に見るのに役立ちます。このやり方は、マインドフルネス系のセミナーで教えてもらった方法を日記に利用してみたもので、案外うまくいきます。

 

書く気のしない日もとりあえずペンを持ち、浮かんできた言葉をノートに書き落とす

日によって、どうも書く気のしない日はあると思います。そんな日に実践してもらいたいのがこれ。

ノートを前にして「朝起きたとき、眠気がすごかった」が浮かんできたことなら、とりあえずそれを書く。そうすると「きっと夜遅く寝たのがいけなかったんだろうなあ」とか、続く言葉が浮かんでくるのでそれも書いていく。そうやって思いつくままに書き続けていくと、「最高に書きたくない気持ち」も少しずつ吹き飛んでいくことが多いです。たぶんこれは脳の「作業興奮」というやつを利用したやり方だと思います。

 

何日か書かない日が続いても、うしろめたさは感じない。めげずに書く

1日うっかり忘れてしまったり、疲れて書く気力がなかったりすると、その翌日からは「もうどっちにしろ昨日書かなかったし」とか「まあちょっとくらい」という気持ちになりやすいです。そしてだんだん「ちょっとぐらい」の期間が伸び、いつの間にかやめてしまう気がします。

後ろめたさを感じたときや、ほんとは続けたかったんだけどなと思い出したときにやることは一つ。とりあえず何事もなかったかのように、なんとなく書き始めてみる。そのあとまた同じことを繰り返しても、また同じように始めていきます。やめてはまた書き始めを繰り返していくと、やめてしまったときだんだん「まただめだった」「失敗した」と思わなくなってきます。あとで立ち上がっていくので。続かなかったことへの後ろめたさは忘れる、放っておく。これ、大切だと思います。

 

ときどき読み返して、自分に必要な情報を探っていく

日記はほんとに人それぞれ。人によっては出来事だけを書くのが合っている人もいるし、ネガティブなことはあとで読み返すときにつらいから、と書かない人もいます。

そこで、書いたことをときどき読み返し、自分にどんな日記のスタイルが合うのかを探っていくとよいと思います。書き足りない、わかりにくいと感じることや、こういう風に思っていたんだなと忘れていた気持ちを思い出したり、役立ったりすることなど、プラスもマイナスも両方出てくるかもしれません。それらを理解することで、どんな情報を「今」書いていけばいいかが見えてくると思います。

自分で繰り返してみて思ったのは、事実(出来事)と感情を織り交ぜて書いてあると、読み返すときに読みやすいのかなということでした。

 

さいごに

日記って自由で実験的な場だなと思います。

この前テレビでサバンナの八木さんが、日々のごはん記録のノートを紹介されていました。ごはん記録は過去につけて失敗したのですが、八木さんに触発され再び始めてみました。健康記録のようになって案外いいです。かたやテレビで吉田羊さんが感謝帳をつけていると知り、これもおもしろいと試してみたのですが、これは何度も挫折しています。

日々、試行錯誤の連続です。でも見方を変えると、日記に書くことのヒントはいろんなところにあって、それを一つ一つ試していくのもおもしろいです。一つのやり方がうまくいかなくても、別のやり方を試したり、自分に合うように改善を加えたりと、少しずつ自分と日記とのちょうどいい距離感を探してみてください。

もし続かないかもと思うときは、書きかけのノートから始めるのも手だと思います! 書きかけのノートでなんとなく始めると、「続けるぞ! がんばろう!」と気張らず、ほどよく肩の力も抜けるような気もします(気が抜けすぎないように注意は必要ですが…)。

読んでくださってありがとうございます。

多読をするときに感じたキンドルのメリット

多読を始めて2年ちょっとが経ちます。紙の本を1年使ったあとキンドルを使ったため、デジタルデバイスの機能に感動しました。今日は自分が英語学習者としてキンドルを使ったときに感じたメリットをまとめてみます。

 

ふせんがいらない=ハイライト機能が便利

キンドルでは文字に指をあてると辞書機能が作動します。そのとき画面上のほうには辞書と一緒に「ハイライト」というボタンがでてきます。

ハイライトボタンを押すと、ハイライトしたものはメモとして一覧にまとめられ、いいなと思った表現、あとで見返したい表現などのストックが可能です。

ハイライトをした箇所はキンドル端末では上のように見え、スマホなどのアプリではハイライトをした箇所だけ表示されます。

キンドルをスマホで利用する場合、下の写真のように全文にハイライトをかけておけば、隙間時間に見返せるオリジナルの単語帳のように使え便利だと感じました。

また、この機能はライティングの勉強に役立ちました。ライティングに使えそうな表現をハイライトして貯め、英語日記を書くときに「こんな感じのこと言いたいんだけど、前に似た表現見たような気がする」と思ったときにハイライトを見返しています。

 

サンプル機能(なか見!検索)が便利

本が自分に読めるものかどうか見定めるときに便利な機能です。

子供向けの本なのに、読みづらいと思ったことありませんか? 私自身、子供向けの小説なら読めるだろうと目を通しても無理かもと思えたり、逆に大人向けの自己啓発でもこれなら読めるかも! と思えたりすることがありました。そこで読める・読めないと感じる基準を考えてみると、英文が自分の見慣れた文体で書かれているかと、わからない単語が多くないかにある気がします。

たとえばこれ、自己啓発に分類される有名な「チーズはどこへ消えた?」で読めるサンプル文の1か所です。

One sunny Sunday in Chicago, several former classmates, who were good friends in school, gathered for lunch, having attended their high school reunion the night before.

案外平易な文章ですよね? 実際のねずみがチーズを追いかける、本文というか物語の冒頭(サンプルには載っていない)もこんな感じです。

Once, long ago in a land far away, there lived four little characters who ran through a Maze looking for cheese to nourish them and make them happy.

私はmazeとnourishではじめからつまづきましたが、辞書の助けもあって、読み進めていけました。

サンプル機能は無意識にしてしまうジャッジが本当に正しいのか、それとも思い込みにすぎないのかを見極めるのに役立ちます。「読めないと思ってたけど読めそう」だったり、難しくても「これだったらもう少しがんばれば読めるかも」と思えたり、もしくは「翻訳書を読んだあとに読んだらわかるかも」というジャッジができたり、モチベーション維持も助けてくれる機能だなと感じています。

多読向きのレベル別の書籍からステップアップしたい、レベル別の書籍が楽しめない、初心者向けと書いてあったから読んでみたけど読めない、TOEICの目安点を参考に手に取ってみたけど読みづらい、と思うことがあったら試してみてほしいです。

目を通しておくことで、買った後の「失敗した~」を幾分か防ぐことができるのもありがたいです。

 

アプリでスキマ時間をうまく利用できる

多読時間をがっつり確保できないときや、多読の習慣化をうながすのに便利なのがアプリだと思います。スマホにキンドルアプリを入れておけば、通勤中やちょっと手が空いたスキマ時間に多読ができて便利です。

今まで多読を日課にし、毎日家で多読を10分、15分読んでいました。でも仕事から帰った後は疲れていて、読む気力がないことが多いです。そこで、スマホにアプリを入れて出勤中などに読んでみることにしました。行きと帰り5分くらいずつ読めば、今まで分の日課は簡単にクリアできます。あまり気の進まない日でも、まあ数文でいいから読んでみなよと、自分をだましだまし読み始めると案外読めちゃいます。

今までは「がんばってやる」感覚がどこかありましたが、「時間があるから読もうか」を積み重ねていく感覚に変わり、多読をすることへのハードルが下がりました。多読がうまく継続できないという方がいたら、アプリはいいプラットフォームになると思います。

 

多読との向き合い方を変えてくれたキンドル

多読を始めた1年は幼児書を延々と読んでいました。はじめは楽しかったものの、1年後には飽きました。そんなときキンドルのサンプル機能に救われ、同時に多読のやり方から読むものもキンドル導入前と後では、ガラッと変わっていきました。

多読におけるキンドルのよいところをまとめた投稿ではありますが、「多読へのアプローチもいろいろある」ということを自分の試行錯誤を示しながら同時に伝えたかったのだと思います。

もし幼児書に飽きてきたなあと同じように感じている人がいたら、サンプル機能を試してみてほしいです。読んでくださった方になんらかの「へー」と思う要素があったら幸いです。読んでくださってありがとうございます。

R.J Palacio著『Wonder』を読んで

1年近く前、紀伊国屋書店の店頭にずらりと一面並べられていたこの本。少し前に読んでみたところ、折を見てまた読み返したくなるような本でした。「Wonder」には、スピンオフ的な小説「Auggie and Me」という本もあります。先日両方を読了したので、今日は両方を読んで感じたことをまとめてみます。

 

あらすじ

主人公の少年は、生まれつき顔に障害がある10歳のオーガスト。本の中には、小さな子供が初めて彼のことを見ると怖がってしまう、なんていう描写もでてきます。顔の手術のため入退院を繰り返し、それまでは学校には行かずホームスクーリングをしていました。それが中等部の1年目になるとき、治療も落ち着き、オーガストの今後のことも考えて学校に行くことに決めます。けれど、見た目がみんなと違うオーガストの学校生活は大変なものでした。物語はオーガストの学校生活を、いろんな登場人物の視点を交えながら追っていきます。

 

物語の特徴の一つは、ストーリーが6人の登場人物の視点から描かれていることだと思います。一番最初は主人公のオーガストから始まるけれど、そのあとはオーガスト以外にもオーガストのお姉ちゃん、学校での「Welcome Buddy(翻訳では『案内役』)」を校長先生から頼まれたジャック、お昼に独りぼっちになってしまっているオーガストとランチを一緒に食べることで仲良しになったサマー、お姉ちゃんのボーイフレンド、お姉ちゃんの友達という風に話者が変わっていきます。話者が6人もいると読みづらそうですが、話者が変わるところで物語もスムーズに展開していくのでごちゃごちゃ感はないです。また話者が変わることで、それぞれの登場人物がどのように主人公のオーガストやほかの登場人物、学校のことを見ているのかも見えてきます。

 

カラフルな個性

本を読んで感じたことを一言で表現するとしたら「カラフル」でした。

本には、人が隠したくなる本音の部分がモノローグのなかで克明に描写されています。登場人物の寂しさや他者に対するあこがれ、うらやましさ…。そういった気持ちはときに登場人物間の関係性のこじれの原因にもなりますが、本のなかでは子供たちが紆余曲折を経て自分の気持ちに向き合って、相手に向き合って関係を修復したり、構築したりする様子が描かれています。

本を読んでいて、こじれにつながることがあるにせよ、自分の気持ちにまっすぐで正直な子供たちが輝いて見えました。子供たち一人一人の感じ方、個性がとてもカラフルに見え、それぞれの登場人物がボッと燃え出すエネルギーみたいなものを秘めているように見えました。

なんでだろうなあと考えたとき、大人になるにつれて自分がプラスもマイナスも含めて「大人」になってしまったからだろうなあと思いました。なんとなく気づきたくない自分の気持ちに蓋をしてしまったり、できるだけ衝突を避けようとしたり…。もちろんそれらはよい面もあります。でも、本を通じてまっすぐに自分の気持ちと向き合うことの大切さも、間接的に学んだ気もします。

 

本を読んで感じたことは、描写がリアルだなあということ。ああ、今オーガストがうけているのはこういう視線だろうなあとか、この追いやられる感じわかるわかるなあ、と容易に状況の想像がつきました。読者である自分自身の小学校時代はだいぶ昔なのに、読みながら過去のいやだったこと、つらかったことがフラッシュバックしたりと、読み手にこんなにリアルに感じさせたり、思い出させたるなんて、すごい描写力だなあと感じました。

だからこそ読み終わって一番強く思ったのは、「オーガストができるなら、私も頑張らなきゃ」でした。自分自身を知ってもらうことなく、容姿だけで判断され、かわかわれ、疎外感を味わう。子供はときに残酷です。だけど彼は、ひとつひとつの壁を越えていきます。それは一つには彼の周りの環境の良さに由来するところもあって、それに対しては、こんないい人ばっか周りにいることないよと感じたりもしました。それでも、途中から「ああ、この子すごいなあ」と純粋に一目置きながら本を読んでしまいました。架空の物語であるにも関わらず、です。

 

この本、2016年の課題図書らしいです。なので児童書のくくりになっていて、ひらがなも多いですが大人でも学ぶところが多い本だなと感じます。私の場合は、一つの状況に対して多くの人の視野を取り入れることで見えてくるものがあり、子供の見方、感じ方から学ぶことがありました。本が文庫になっていて、翻訳の語尾や調子がちょっと違ったら、もっと多くの人に届く物語だと感じます。

 

Wonder本編だけでも面白いけれど、スピンオフ的な「Auggie & Me」も面白いです。こちらでは、Wonderの本編ではそこまでメインロールを担っていない3人の登場人物の「本音」の部分が一人ずつ深堀りされていきます。示唆的だけどしつこくなくて、短編として楽しめるお話です。

 

英語の多読をやっている人がいれば、おすすめです。読みやすくて、日記などで使いやすい表現がざくざくありました。よかったらどうぞ!

『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読んで

若林さんの2作目「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読み終わりました。人生ではじめて紀行文を読んだのですが、おもしろかったです。キューバという国の雰囲気が伝わってきて、それが若林さんの視点でまとめられていて、笑えたりドキッとしたり、考えさせられたり…。キューバに行ってみたくなりました。今日は、感想を書いてみます。

 


あらすじは、Amazonから引用させてもらいます。

前作『社会人大学人見知り学部卒業見込』から約4年ぶり、新作の舞台はキューバ! 航空券予約サイトで見つけた、たった1席の空席。何者かに背中を押されたかのように2016年夏、ひとりキューバへと旅立った。慣れない葉巻をくわえ、芸人としてカストロの演説に想いを馳せる。キューバはよかった。そんな旅エッセイでは終わらない。若林節を堪能できる新作オール書き下ろし!

 

紀行文であり、経済や人間の話であり、そして家族の話である本

若林さんは、日本と違う社会のシステムに生きる人々の顔を見るため、それから後々わかるもうひとつの理由から、キューバに3泊5日の旅に出ます。

3日間の旅行中、1日目の6時間は日本語を話せるキューバ人ガイド・マルチネス氏と、1日目の夕方、2日目は現地在住の日本人マリコさんと観光し、残りの1日は若林さん単独で観光をされたそう。マリコさんと観光をするときは、マリコさんと2人で観光する以外に、マリコさんの友人のキューバ人や、そのまた知り合いのキューバ人とも一緒に観光されています。そのため、本にはガイドのマルチネス氏をはじめ、数人のキューバ人との交流が描かれています。

キューバ人との交流の描写が多かったのが、キューバの印象をカラフルで行ってみたい! と感じさせてくれるものにしていた気がします。若林さんは「海外からの観光客相手の場所ではなくて、キューバ人の生活に寄り添ったディープな場所が見たいのでお願いします」と出国前にマリコさんに頼んでいたそうで、キューバ人と一緒に闘鶏場に行ったりもしています。旅行会社のプランに沿った旅をしたのでは見えてこない「キューバ」が本には描かれていて、そこからキューバの雰囲気や、キューバ人の国民性を垣間見ることができて面白かったです。

 

そして、それらの体験が若林さんの視点で語られているのがいいです。経済のこと、キューバ人の人との関係の築き方、人々の表情などなど、それらの描写はリアルで、頭のなかで思い描きながら読み進めてしまいます。

私が本のなかで一番印象に残っているのは、若林さんが革命博物館で感じたことを書いた文章でした。

しかし、革命博物館でぼくの心をとらえたのは彼らの政治的なイデオロギーではなく彼らの”目”だった。バティスタ政権を打倒しようとする若者のような目をあまり見たことがなかった。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか? あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」というゲバラの名言がある。
ぼくは革命博物館で涙を流さなかったし、今の生き方も考え方も変えるつもりはなかった。だけど、ぼくはきっと命を「延ばしている」人間の目をしていて、彼らは命を「使っている」目をしていた。
ゲバラやカストロの「命の使い方」を想像した。
日本で生きるぼくの命のイメージは「平均寿命まで、平均よりなるべく楽しく生きる」ことではないかと、そんなことを初めて考えた。

この文の流れの最後で、若林さんは「『命を使いたい』と思った」と書いています。

この文を読んで、ドキッとしました。というのも、この文を読んだときはちょうど身体の衰えを意識し、長く健康的に生きる方法を模索しているときでした…。でも同時に模索する過程で、「果たして健康的に長く生きられたとして、その時間をどう使うんだ?」と、問いかけているときでもありました。そんなときにこの文を読んで「ああ、私も命を使えていなくて、命を延ばそうとしている目をしているんだ」と気づかされました。本を読んでから、ふとした拍子に、もしくは鏡を見るときに、自分の今の目と命の使い方を考えてしまいます。

 

本を読んで感じたことを一言で表すのなら、「探索」でした。日本以外の国のシステムで生きている人はどんな顔をしているのだろう? その答えを探しにペルーに旅に出る若林さん(他の理由もあったのですが)。そして、ペルーでいろんなことを感じ、そこで生まれる自分の反応から、自分自身の考えや思いを知り、自分の思考の着地点をつけて日本に帰っていく…。

「キューバはよかった。そんな旅エッセイでは終わらない。若林節を堪能できる新作オール書き下ろし!」。この紹介文の通り、本には紀行文という枠だけにはおさまらず、現代経済とは、人間とは、家族とは…といろんな要素について考える若林さんの姿がありました。

本を読むとき、過去に資本主義にもやもやを感じ、同じように旅をした自分を思い出しながら読んでしまいました。その頃はこの本は出版されてなかったのですが、その頃にあって、読むことができてたらよかったなあとしみじみ思いました。なので、同じように社会、経済にもやもやを感じている人がいたら、是非読んでほしいです。

 

いやー、でも私は単純に紀行文として読んでいて楽しかったです。

【見つけられてよかったもの】Kalitaの波佐見焼コーヒードリッパー HA101

昔から靴や時計、キッチン用品などの小物が好きです。あるとき、好きなものについての投稿をしたら面白そう! と思いました。そこで、少しずつ暮らしのなかで見つけたおすすめしたいものについて書いてみようと思います。

今回は、Kalitaの波佐見焼のコーヒードリッパーについて書いてみます。このドリッパーを使い始めて、コーヒーを淹れる時間が前より断然楽しみになりました!

大好きなものですが、陶器なので重量感はあって、私自身は重量感のことが気になって買う前にかなり躊躇しました。そこでおすすめしたいものの投稿ですが、いいなと思った点はもちろん、使ってみて気になったこと、買う前・買った後の感じ方の違いなど、レビュー的視点を混ぜつつ書いてみます。先に触れると、私はコーヒーについてはそこまで詳しくないので、リブの高さが…みたいな話は書いていません。ごめんなさい…。

Kalitaの波佐見焼ドリッパーは4種類あるようですが、投稿は1~2人用のHA101についてです。

 

いいなと感じたところ

デザイン

清潔感のある白に、細めのリブの線。シンプルだけどスタイリッシュな感じに、一目惚れでした。

Made in Japanの波佐見焼

デザインのかっこよさが興味を持つきっかけでしたが、日本製であるということも買いたいと思ったポイントだったと思います。

波佐見焼とは、長崎県波佐見町で焼かれた焼き物です。長崎県窯業技術センターのHPにアップされている資料によると、波佐見町の和食器出荷額は国内全体の13%に及び、長崎県下では最大だそうです。全国に視点をうつすと、和食器出荷額のシェアは全国3番目の実績を誇っており、波佐見町の就労人口の約4割は窯業関係の仕事をしているということで、焼き物の町であることがわかります。

陶器というと、職人が最初から最後まで一貫して生産するイメージがありました。でも波佐見焼では分業体制がとられており、石膏で陶器の型を作る作業、石膏をもとに陶器を作る作業、陶器に染付をする作業などなど、わかれているそうです。Kalitaの波佐見焼特集ページでは、分業体制の話をはじめ、波佐見焼の歴史、ドリッパーの製作段階の話がまとめられています。商品の舞台裏の話を知ることができ、読んでいて面白いです。

また、今回のドリッパーとは関係はないですが、波佐見焼についてこんな動画もあって、分業体制ならではだなあ~と興味深かったです。

管理しやすい

波佐見焼のドリッパーを使う前は、プラスチックのドリッパーを使っていました。プラスチックは軽く割れないので管理しやすい反面、ゴシゴシ洗えば傷もつきやすいです。私が使っていたものはリブの間隔が狭く、ドリッパーのいたるところに凹凸がありました。そのためとても洗いにくく、一度コーヒーのしぶがついてしまうと面倒でした。

それに対してこのドリッパーは、リブの間隔が適度で、凸凹感もほどほどで洗いやすい。透明感のある白だから、汚れが気になる部分があったらすぐに気づいて手入れしやすいのもよかったです。

 

気になった点

重さと厚さ

いずれの点も陶器なので仕方ないですが、プラスチックのドリッパーを使っていたときは気にしなかった点なので、一応触れておきます。

ドリッパーの重量は270グラム。使い始めたときは、ドリッパーを持つとマグカップを持ったような感覚がしました。自宅にあるモスバーガーのマグカップは215gだったので、やはりマグカップ程度の重量感はあります。

また、ドリッパーを温めるのにも時間がかかります。プラのドリッパーを使っていたときはマグカップと一緒にときどき温めていましたが、替えてからはマグカップだけを温めるようになりました。

KalitaのHPではドリッパーの薄さが強調されているのですが、はじめに使っていたのがプラスチックということもあって、あまり薄さは意識しませんでした(もしかしたら、陶器ドリッパーのなかでは薄めに入るのかもしれません)。

 

使う前と使った後、感じ方の違い

買う前に一番気になったことは重量感で、レビューを見ても「重い」という言葉が目立っていました。私はプラスチックのドリッパーの軽さに慣れていたので、重いドリッパーを使う気になるのだろうかと、買うのに躊躇しました。それに輪をかけるように値段も高い。最終的には勢いで買ったのですが、使って5カ月たっても重さは意識します。

でも重いから、割れる心配があるからこそ、大切にするようになりました。それに気に入っているから、はじめにも書いた通り、コーヒーを淹れる時間が楽しみになりました。買った初期のころは使いながら「やっぱいいなあ」とつぶやいていたり、使えるのがうれしくてにやけていたり…。自分の気に入っているものを使うことってこんなに大切なんか! と思い知った瞬間だった気がします。

それに、プラスチックドリッパーを使っていたときに煩わしかったキズやコーヒーの着色の心配がなくなりました。一長一短です。

ただ、もし重量感が気になる場合は、実物をリアル店舗などで見た方がよいのかもとは感じます。私自身は、実際に見て触っても10分くらい迷ってしまいましたので…。

 

最後に

よいところ、気になる点の両方について触れたため、おすすめしたいものについての投稿なのに、どっちなの感があります。でも、好きなものでも「ここは気になるな」ということも往々にしてあったりします。なので、今回はあえて両方について触れてみました。

プラスチックのドリッパーは300円ちょっとで買えるので、「ドリッパーに2000円かあ…」と買う前はだいぶ躊躇しましたが、今は買ってよかったと思っています。重かったり、値段が高かったりということは、生活に与えてくれるうれしさ、楽しさと天秤にかけたら、私にとってはそんなに重要なことではなかったです。

ドリッパーを探している人がいたら、是非選択肢の一つにおすすめです! 読んでくださってありがとうございました。

日々のなかにある、大切な日常を伝えてくれる物語『そして、バトンは渡された』

本や映画を見たとき、突き動かされるものがないと感想って書けないものだな、と最近思います。

数日前に読み終わった「そして、バトンは渡された」を読んでいるときは、読みながら泣いたり笑ったり、何度も気持ちを揺さぶられました。そこで、今日は感想を書いてみます。

 

まず、本のあらすじは、Amazonから引用させてもらいます。

森宮優子、十七歳。継父継母が変われば名字も変わる。だけどいつでも両親を愛し、愛されていた。この著者にしか描けない優しい物語。 「私には父親が三人、母親が二人いる。 家族の形態は、十七年間で七回も変わった。 でも、全然不幸ではないのだ。」 身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作

 

何気ない生活のなかにある、大切な日常

本には、かなしい描写もありました。でも、本を振り返ると思い出すのは、主人公の優子と、3番目のお父さんの森宮さんが食事をしている描写ばかりでした。

かなしい描写もあったのに、どうして日常的な光景ばかりが頭に残っているのだろう? 読んだあと、疑問になりました。浮かんできた答えは、登場する親たちの愛情が物語にあふれているからではないか、ということでした。

 

月末に金欠になってしまう親、交わす言葉は少ない親、高校3年の始業式の朝にかつ丼を出す親。物語には、全然違うタイプの血のつながっていない親が登場します。でも、そのなかで共通するのは、それぞれの親たちが優子を大切に育てているということ。それは行動に現れていたり、行動からうかがうことができたり、食卓に現れていたり…。厚くしっかりとして揺るぎがない親たちの愛情が、物語の根底に丁寧に描かれています。

でも、愛情は与えてくれる人がいても、与えられた方が愛情に応えなければ一方通行になってしまいます。なんでこの物語をあたたかく感じたのかは、異なる親の愛情を優子が受け入れていく様子が、気持ちや行動で表されているからではないかと感じました。親も子もそれぞれ、いろんな思いを抱えながらも、丁寧に、大切にお互いに接する。そのしっかり重なった思いが、かなしさではなくあたたかさを思い出させてくれた気がします。

 

そして、そのことを象徴する情景の一つが食事のように感じられました。物語の中心に据えられているのは、食の描写。すべての親との関係性が食を通じて築かれていたわけではないですが、「食」での情景が家族のカタチ、姿みたいなものを多く語っています。

そのなかでも際立っていたのが、最後のお父さんである森宮さんと優子が食卓を囲む時間。始業式の朝のかつ丼を出したのはこの人で、週のど真ん中の夕食には餃子も出てきます。でも、森宮さんの思いがしっかりとこもったご飯です。そういうごはんを作ってくれる人がいて、その食事を一緒に食べ、会話もしながら時間を共有し、時間を積み重ねることで優子の日常は過ぎていきます。その日常は、泣けたり笑えたり、みんなどこかあたたかい話ばかりでした。

本のなかで一番印象に残っている言葉は、優子のこんな心の思いでした。

塞いでいるときも元気なときも、ごはんを作ってくれる人がいる。それは、どんな献立よりも力を与えてくれることかもしれない。

 

私がこの言葉を読んで思い出したのは、近所に住む祖母が台所で料理をしている姿でした。祖母は毎朝5時に家族にお弁当を作り、朝ごはんと夜ご飯も自分の作ったものを食卓に並べます。何十年もその生活を続けています。料理をすることは、きっと彼女にとって馴染んだ生活の一部で、祖母の料理を受け取る家族にとっても、祖母の料理が生活の一部として馴染んでいるでしょう。でも視点を変え、もっとひいて客観的にそのことを考えてみると、毎日コンコンコンと、台所で料理を作ってくれるその日常自体、その祖母の姿自体がありがたく貴重だということに気づきます。

本を読んで感じたことに名前をつけるとしたら、「何気ない日々のなかにある、大切な日常」でした。食事を家族とともにする時間や、食事を作ってもらう時間は、いつの間にか生活の一部として当たり前になっていきます。でも、そうやって受け入れている時間や環境、そうやって積み上げている時間のなかにこそ、本当に大切なものが詰まっているのかもしれない。本を読んで、そんなことを感じました。

 

物語の食に関する描写は、物語をカラフルに彩っていたなあと思います。よくジブリ映画に出てくる食べ物がおいしそうだというけれど、この物語も引けをとらなかったです。本の中に出てくる料理の細かい描写、優子の料理に対する食欲をそそる感想。どれもおいしそうで、「この材料、配合で作るとおいしいそうだ」と思う料理ばかりでした。

 

小説に何を求めるか、人によって違うと思います。私は比較的、物語に展開を求めるタイプです。その意味では、この小説は淡々と日常が描かれ、読む手が止まることもありました。ただ、読んでいくと心のすき間をふんわり埋めてくれる物語性があって、読めてよかったなあと感じる1冊でした。気持ちのバランスをうまく保てないとき、なんだか調子が悪いなあと思うときに、優子の言葉や、歴代の親たちのあたたかさあふれる描写を読み返したくなる気がします。

ふんわりとあたたかく胸に響いてくる物語を読みたいとき、この小説はピッタリかもしれません。よかったら読んでみてください。

おすすめのムック『暮らし上手の発酵食』

最近、発酵食の効能についての書籍を以前より書店で見かける気がします。

数年前、塩麹が注目されたとき、私は書店で見かけた本がきっかけで発酵食にはまりました。あれから数年が経ちますが、今も日々の生活でヨーグルトを作ったり、食事に少しずつ発酵食を取り入れる生活をしています。たぶん、今もこんな風に興味を持ち続けているのは、今日紹介する本のおかげでした。発酵食に興味を持ち始めた方におすすめなので、今日はこの本について書いてみます。

 

ムックという形態がいい。雑誌感覚で楽しめつつ、発酵食の基本が学べる

 この本の一番いいところは、ムックという形態だと思います。雑誌以上だけど、書籍まではいかない。雑誌のようにサラッと読めるけれど、書籍のような「この発酵食の効果を期待するには、いついつ食べるといい」みたいな細かい知識は載っていない。具体性のある知識までは載っていないので、そのあたりの内容に特化した本を読みたい人には、物足りないかもしれません。ただ、発酵食の基本的な知識や作り方、アレンジレシピなどを知りたい方にとっては、入門書としてちょうどいいと思います。

 

具体的な内容は?

本では一番初めに特集を組み、発酵食に魅せられた8人を紹介しています。料理家、フードコーディネーターなど、主に食にまつわる分野で活動している人たちです。8人の方を紹介するとき、それぞれ異なる発酵食(もしくは視点)についても一緒に紹介していきます。ある人の特集ではその人の味噌の活用法を、また別の人の特集ではその人の塩麹の活用法を、という具合です。他にも異なる人たちの、ぬか漬け、甘麹、酒粕、ヨーグルト、麹を使ったおつまみの活用法などもまとめられています。味噌、塩麹、ぬか床、甘麹、アンチョビ、塩辛に関しては、作り方も紹介されているので、自分で作ろうとするときに便利です。

この特集の他には、発酵食の基本知識、塩麹の便利な使い方、発酵食を活用した様々なドリンクや、発酵食を別の食材との掛け合わせるレシピも紹介されています。そもそも発酵食とはなんなのか、それぞれの発酵食は身体にどんな効能があるのか…などなど。発酵食のレシピと一緒におさえておきたい情報が、わかりやすくまとめられています。

 

この本のよかったところ

この本がきっかけで、発酵食の楽しさや面白さに気づきました。そしてそれは、ムックという本の作りのおかげだった気がします。書籍のように1冊に簡潔にまとまっている本は、情報収集の手段として便利です。でも、ちょっと一息つける「隙間」みたいな部分はあまりない気がします。

このムックの場合は、雑誌のように、特集する人たちの暮らしを伝えつつ、その人たちが日々実践している発酵食ライフを伝えてくれます。8人の発酵食にまつわる失敗談や、発酵食を生活に取り入れるコツについてのコラムもあったりします。今考えると、それらの雑誌感覚で読める手軽さがよかったです。プロでも失敗するのか! と思え、気が楽になりました。いい感じの「隙間」が本にはあるのです。

一方で、発酵食の効能やレシピはサラッとまとまっているから、その情報が知りたいときはそこだけ開けばいい。重宝したのは、発酵食の効能カタログと、発酵食を使ったドリンクや掛け合わせレシピでした。例えばドリンクのページでは、飲みたいドリンクが朝・夜と分けて紹介されています。朝は栄養補給を兼ねたドリンクを、夜は疲れのリセット、よい眠りにつなげるドリンクを、という風に、意識したいポイントに沿った飲み物がまとめられていて、日々の生活で役立ちました。

今でも、ぬか床や甘酒を作ったり、料理のヒントが欲しいとき、この本をよく開きます。本はいろんな意味で、私が求めている情報を適度に伝えてくれて、本当にちょうどよい1冊でした。

発酵食について知りつつ、食事で摂り入れていきたいと感じている方には、読みやすい1冊になると思います。そういった本を探している方がいたら、よかったら読んでみてください!

歌と映画、両方楽しかった「はじまりのうた」という映画

先日、アマゾンのプライム・ビデオで「はじまりのうた」という映画を見ました。ドラマに分類される映画です。

しばらくの間、ドラマに分類されるアメリカ映画を何本も見ていました。たまたまかもしれないですが、私の見たそれらのドラマ映画のジャケット画像は、主人公たちが隣合わせに座るなり、立つなり、見つめ合うなりしてました。この映画もそうだし…。

同じく、たまたまかもしれないですが、それらの映画は物語の細部は違っても、根本としての雰囲気は似てた気がします。しばらくそういう映画ばかり見続けた頃には、「お腹いっぱい…」と思うようになりました…。

今回の映画を見たのは、「お腹いっぱい」期からしばらく時間が経ったとき。でも、「あの雰囲気をまた伝えてくるんだろうな」と思いながら見始めました(だったら見なきゃいいんだけど、ついつい見ちゃう…)。

でも、違った。はじめは「いい映画だったなあ」くらいでした。たいてい、いつもはその感情止まりなのですが、見終わって数時間経っても、映画のことを考えていました。せっかくなので、映画の紹介をかねつつ、よかったなと感じた点を書いてみます。

 

 

映画のあらすじは、シネマトゥデイから引用させてもらいます。

ミュージシャンの恋人デイヴ(アダム・レヴィーン)と共作した曲が映画の主題歌に採用されたのを機に、彼とニューヨークで暮らすことにしたグレタ(キーラ・ナイトレイ)。瞬く間にデイヴはスターとなり、二人の関係の歯車に狂いが生じ始め、さらにデイヴの浮気が発覚。部屋を飛び出したグレタは旧友の売れないミュージシャンの家に居候し、彼の勧めでこぢんまりとしたバーで歌うことに。歌い終わると、音楽プロデューサーを名乗るダン(マーク・ラファロ)にアルバムを作ろうと持ち掛けられるが……。

 

この映画を、他の映画と切り分けるものは「歌」と「音楽」にあると思います。

ただ、「音楽」というくくりだけなら、他の映画でもあるかもれない。そこで、この映画の他とはちょっと違う点に触れつつ、映画のいいなと感じたところを書いていきます。

 

はじめに、あらすじの続きになるのですが、物語では最終的に、ダンとグレタは演奏仲間を集めながら、1枚のアルバムを作っていくことになります。映画では、アルバムを作る過程を追っていきます。

そして、この作中の歌がいい。好みの問題があるので、人によってはあんまりかもしれないですが、私はキーラ・ナイトレイの歌声と曲のテイストに完全にはまってしまいました。

昔のフォークソングを思い出させつつ、アレンジした感じがいい。この曲風が好きなら、映画は見ていて面白いと思います。

更に、この映画の面白いところは、アルバムの収録場所。

収録はレコーディングスタジオでやるのではなく、夏のニューヨークの街中各所。地下鉄のプラットフォームで、エンパイア・ステート・ビルを見上げながら、セントラルパークの湖の上を漕ぐボートで…。とにかくいろんな場所で、レコーディングをしていきます。自転車のチリンチリンも、街の喧騒も、すべてアルバムの味になっていくのです。いい感じの歌声と面白い発想のもと、何かが作られていくのを見るのはとても楽しかったです。

それから、主人公をはじめ、一緒に演奏する仲間たち、みんなが音楽を楽しんでいる姿もいい。演奏している姿はとても楽しそうで、見てるだけで楽しくなってきます。

 

これらの要素に加え、私がこの映画に惹かれた極めつけの理由は、主人公のキャラにあった気がします。主人公のグレタは、少し堅い感じがするところがあります。作中で、登場人物の一人は彼女のことを「無愛想」と表現するほどでした。そんなグレタに対して、作中初めのダンはノリがちょっと軽く、グレタとなんだかんだでいいコンビです。

グレタとダンは、本当に音楽に情熱を傾けています。音楽を通じて、2人の関係性が少しずつ変わっていく姿。音楽を作り上げることを通じて、2人の人生が少しずつ変わっていく姿。それは、この映画の一つの見どころだと思います。

印象に残っているのは、ダンが少しずつ変わっていく姿です。ダンははじめ、ほんとにボロボロでした。家族との関係性が、ある事件をきっかけに崩壊し、妻と娘とは別居状態。物語のはじめでは、自分で立ち上げた会社をクビになり、「酔って地下鉄で自殺を考えて君の歌を聞いた」とグレタに打ち明けるほどでした。

でも、音楽をみんなで作り上げていくことによって、彼は少しずつ再生していきます。先ほど、「作中初めのダンはノリがちょっと軽く」と、過去形で書きました。過去形で書いたのは、物語が進むにしたがい、彼が軽い人ではないと少しずつわかってくるからでした。もともと彼のなかにあるけれど、うまく外に放たれていない家族への愛情、音楽への情熱、そういうものが徐々に見えてきます。物語を通じて彼に起こる変化は、わざとらしくなく、自然で、あたたかい。彼の顔芸? というのか、表情の演技は、とても印象に残っています。

映画のトレーラーは最後、こんな語りかけで終わっています。

へこんだ心はいつかふくらむ。新しい一歩を踏み出したいあなたにおくる物語

はじめの文は、的確だなと思いました。へこんでいるけれど、音楽を通じてふくらみはじめる、グレタとダンの心が映画には映し出されています。その姿は、なんていうか励まされます。私はダンの変わり方を見て、「私もこんな風に変わっていきたい」と感じました。私の場合は、ダンの姿に励まされました。でも、人によってはグレタの恋愛だったり、人生にだったり、響くところは人それぞれ違う気がします。

 

正直、作中の音楽が好みではない人には、いまいちの映画かもしれません。でも逆に、作中の音楽が好きな人は、見ていて楽しい映画だと思います。プライム会員の人は、よかったら見てみてください。

仮にもし前者だとしても、マルーン5のアダム・リヴィーンが歌う挿入歌はとてもよかったです。映画に関係なく、よかったら聴いてみてください!

Kindle Paperwhiteを使い始めて8か月。Kindle Paperwhiteと純正カバーのレビュー

今年の1月初めに、Kindle Paperwhite第6世代を買いました。本体を使い始めて8か月強、純正カバーを使い始めて5カ月強経ちます。先日、カバーに目をやると、カバーの角が剥げていました。気に入っていたので、凹みました…。

そこで今日はKindle周りのことについて、自分が買う前に気になったことも含めつつレビューを書いてみようと思います。使用しているのは、Kindle Paperwhite 第6世代(Wi-fi, キャンペーンなし)のものです。

 

Kindle Paperwhiteの本体の使用感

レビューには使い方・使用頻度も関係すると思うので、先に一応その点に触れておきます。私は、Kindleをメインの読書ツールとして使っていません。毎日英語多読をするのに15分程度使い、ときどきPrime Readingを使って本を読む程度です。あとは、数冊、新刊や厚めの文芸書を購入し読んだこともあります。そのため、Kindleライトユーザーのレビューとして参考にしてもらえたらと思います。

あってよかったバックライト!

買う前、バックライトの有無で悩んだのですが、この機能は必要だと思いました。使い始めて数回、バックライトがつかなかったことがあります(一度スリープ状態に戻し、再度つけると戻る)。画面が明るいことに慣れていたせいもあって、バックライトがないとその暗さに驚きます。ないと暗いので、使える場所が多少限定されてしまいそうにも感じました。

ページ繰りのとき、画面が白黒反転する件(ページリフレッシュ)

Kindleシリーズが合わないという人がよく指摘している点で、買う前に一番懸念しました。でも、私は大丈夫でした。人によるところが大きいのかもしれません。気になる方は、You Tubeのレビュー動画などを確認するのも一つかもしれません。

スマホのような速度感はない

初め、遅くてびっくりしました。検索時、打った文字が画面に反映される速度がワンテンポ遅く(更に文字が若干打ちづらい)、早く結果を知りたいときはイライラしました。でも、最終的には「まあ、こういうもんか」と慣れてきました。ページ送りのときもワンテンポ気持ち遅めですが、小説など、活字を追う分には気になりません。

操作性

検索をするとき、本のタイトルが明確で、Kindle版が確実にあると知っている場合の検索は問題なかったです。しかし、それ以外の本をジャンルなどで「なんとなく探す」ときの検索はしづらい気がします。「どこだ、どこだ」と探していく感じです(面倒になって、見つからないときもある)。最終的には書籍検索・購入はパソコンでして、読むときだけKindle Paperwhiteを使うようにしたら、別段何も思わなくなりました。

検索するときの若干遅めの速度感と操作性が、一番やきもきしました。でも、Kindle Paperwhiteは「本を読む端末」とし、検索はパソコンなどで済ませてしまうようにしてからは、イライラすることもなくなりました。普通にありがたい、便利な存在です。

 

カバーを買うことにした経緯・カバーのレビュー

上のような感じで、全体的に本体には満足していました。でも、本体についてしまう指紋が少しずつ気になってくるようになりました。黒という色自体、指紋が目立ちやすいです。更に背面の材質は、普通のプラスチックではなくなめらかな質感素材なのです(調べても材質がどうしても出てこず、表現があいまいですみません…)。

わかりづらいし、そこまで目立つものでもないのですが、少しずつ使用感が出てくる感じがいやで、純正カバーを買うことにしました。

レビューを見ると「カバーをつけると重い」という言葉が目立ちます。実際使ってみたら、本当にその通りでした。カバーを買う前はKindleを外に持ち出すこともありましたが、その習慣はほぼ無くなりました…。とはいえ、Kindleをはめ込む部分は堅く、しっかり守ってくれそうな感じはあります。Kindle自体が薄めなつくりのため、その部分は安心できます。

また、カバーの開閉時には、端末が自動でオン・オフ切り替わります。初めは便利だなあと思っていたのですが、よくよく使うと、別にあってもなくてもどちらでも大差ないなあと感じるようになってきました。

そして、初めにも書いたのですが、カバーの角が剥げてきました。

外に持ち出したのは、10回以上20回未満だと思います。それ以外は、家の本棚、引き出しにしまっていました。「革」カバーですが、革の上にコーティングがされていて、その部分が少しずつ剥げていきます。

総括すると、指紋が気になっていたので、その点をどうにかできたのはよかったです。でも使って5カ月で、値段も結構したため、剥げは悲しかった…。正直、値段不相応に感じました。

 

Kindle Paperwhiteを買ってよかった? カバーを買ってよかった?

私はKindle Paperwhiteを買ってよかったし、カバー自体は買ってよかったと感じた人でした。

ただ、Kindleがあるからといって電子書籍を買って読むかというと、正直読まないです。Kindle Unlimitedも無料体験をして、初めはその書籍数に感動しました。でも、あるものの中に自分の読みたい本はなかったりして、結局は読みたい本は借りるなりして読む方が性に合っていると感じました。また、本を買う習慣自体がなかったこともありますが、やはり紙の本の方が私には馴染みがよかったです。

ついでに言うと、私は購入当時はタブレットを持っていなかったので、買おうとした当時は、Kindle Paperwhiteを買ってよかった人でした。でも最近、タブレットをもらいました。もし初めからタブレットが手もとにあったら、私の1日15分程度の読書量であればPaperwhiteはいらなかったかもと、ちょっとだけ感じています。目にはKindle Paperwhiteの方が優しそうなので、あればありがたいけど、なくてもまあなんとかなるかなあという感じです。

そこで思うのは利用度合によっては、電子書籍リーダーに興味は持っていても、他の媒体で案外事足りる人もいるのかなと。毎日比較的短時間の多読だけが目的で、タブレットを既に持っている方とかは、特に。

またカバーに関しては、カバー自体は購入してよかったですが、もっといろんなカバーを検討すればよかったと感じています。「純正」バリューを諦めれば、重量的に軽いカバーはそこそこありました。Kindle本体が205gで純正カバーが134g、合計すると340g程度です。それは、家にある150ページ強のハードカバーの文芸書1冊と同じくらいの重量で、ずっと手のひらで支えると、そこそこの重量感があります。純正でも剥げてきてしまうことを考えれば、今思うと純正だからと安心せず、いろいろな商品を比較検討すればよかったです。

カバー購入を迷っていて、もし上の写真のような指紋が気になる人は、最初に買った方がベターだと感じます。写真を撮るにあたってアルコールで拭きましたが、それでもこんな感じでしたので…。とほほ。

多読を続けて1年7か月、失敗を経て気づいたこと

「1年、2年と多読を続けたらどうなるのだろう、どこまで行けるのだろう」

多読を始めるときの疑問でした。あれから1年7か月が経ち、私は何を得たのだろうと考えました。するとかなり「なんとなく」な成果しか得ていませんでした。掲げた目標には近づいていません。

そこで今日は、続けることで気づいた「もっとこうすればよかったんだ」について書いてみます。先に答えを書くとそれは、「多読の目的を明確にしながら、目標と今をつなげる」ということでした。

多読に興味がある人、多読を通じてライティング力をあげたい人に読んでもらえたらうれしいです。

最初にこれまでに何をして何を得たのかをまとめ、その後に「こうすればよかったんだ」の部分を書いてみます。

何をやってきたのか 多読素材・多読量・費やした時間

(多読の素材・多読量)

1年目は多読素材の定番「Oxford Reading Tree(以下ORT)」「I Can Read(以下ICR)」→1年過ぎたころ「Paddington」シリーズ2冊→数か月前から、コメディアンの自伝本3冊

読んだ総文字数は、自伝の文字数がわからないのでわかりません。でも、40万語程度くらいには達したのではないかと思います。

(多読に費やす時間)

ORTの初級段階では1日3冊10分未満くらい、レベルが上がってからはORT、ICRともに1日1冊で10~20分程度。Paddington、コメディアンの自伝は1日10分程度。ここ1か月くらいは、1日最低2ページ程度。(最低ラインのルールは疲れている日は、最低一文でも読めばOK)。なのでならすと、1日10~15分程度だと思います。多読の本によると、これでは短いようです…。

 

多読を始めたきっかけ、当時の目標

実は、大学時代の専攻は英語でした。でも、自分の英語力に後悔が残っていました。もっと自分の言いたいことをしっかり伝えられるようになりたい、前置詞が苦手で正しい文が書けないのを直したい…そんな思いがありました。「幼児向けの本を読むのに気は進まない。だけどどこかから始めないと、私はずっと同じ後悔し続けるだろう。とりあえずやろう」と、藁にもすがるような思いで始めました。

そのときの目標は、名作小説を原著で読めるようになる、自然な英文を書けるようになることでした。ネイティブとフェアに話せるような英語力が欲しいという思いも、間接的にあった気がします。

 

結果、目標達成度、そこから見える私の問題点

では、そんな目標に対して私はどこに行けたか。

「コメディアンの書いた洋書はなんとなく読めるようになり、自分のなかのイディオムのストックは前よりなんとなく増えた気がするよ」

これが正直に感じたことでした。すべてが「なんとなく」でしかないのです。1年半以上続けてるんだから、もっとあるだろ? と思いましたが、なかった…。

なぜ、こんなことになったんでしょうか。

私の一番の問題点は「多読をする」という行為が、いつの間にか「目的」になっていたことにあると思います。仕事から疲れて帰ってきたとき、「本を読む」ことだけで精いっぱいでした(職場にはバイクで通勤し、従業員全員でお昼を食べる職場で、仕事前・休憩中に読む時間はとれませんでした)。そしてこの「とりあえず読め」が当たり前になると、本来の目標は少しずつ「考えたくないもの」に変化しました。

さらに突っ込むと、イディオムについてもその表現を「見ること」に慣れただけ。自分のなかで、使える表現にはなっていません。英語で日記を書いていて、「見ることに慣れた」表現は使っていましたが、それらが合っているかは定かではない。昔勢いで買ったジェーン・オースティンの「高慢と偏見」が手もとにありますが、読めるとも読みたい! とも思えない。何も目標に近づいていませんでした。

モチベーションは低く「読めばOK」としてしまい、どこに向かうでもない多読迷子になっていました。

 

ここから言えること どのように多読に取り組むべきか

努力が目的にしっかりと向かっていなければ、得るものは「なんとない」ものでしかない。書いてみると当たり前ですが、それが学んだことでした。その経験から得た教訓は、次の2つです。

1.多読を始める目的・目標を明確にし、意識しながら多読を続ける
2.「目標」と「今」をつなげてみる

1に関しては、英語学習法でよく言われることです。多読の場合、特にその傾向が強いかもしれません。多読は「読む」という行動はともなっているので、それだけで満足してしまいやすい気がします(もちろん数をこなすことが目的ならばそれでよいのですが)。

2に関しては、「今」と「未来」を地続きにして、「今、少しでも目標に近づいている」という状況を作るためです。これで多読迷子にならない! ここ数日、ライティング力・スピーキング力を上げるという目標に対して、次の取り組みを始めてみました。

・多読で読んだ文章で使えそう・使ってみたい文章を、キンドルのハイライト機能を使ってストック→毎日一瞬でもいいので、ハイライトした文を見る→使えそうなら英語の日記で使ってみる
・読んでいる文章がいまいちわからないとき、音読して理解しようとしながら読む

また直接は関係ないですが、好きな英語のPodcastも毎日聴くようにし始めました。読む、話す、聴くを組み合わせることで、より自然な表現も見につきやすいのではないか、という仮定(もしくは願い…)からです。

試してまだ数日ですが、めんどくさがりながら数文だけ書いていた英語日記の文が長くなりました(笑)。「使える表現はないか」とめざとく探すようになりました。書きながら、なぜ私は英文を書けるようになりたいのに、英語の日記を真面目に今まで書かなかったのだろうと疑問になりました。本当に本末転倒なことばかりしてました…。

 

最後に

書きながら、果たして多読の目的が「読む」こと以外の人ってたくさんいるのかな、と疑問になりました…。いるといいな…。

失敗談ばかりですが、私はそれでも多読を始めてよかったと思っています。一つには「なんとなく」でも、原著を読み始めることに抵抗が少なくなり始め、のろくても「どこかに向かい始めてはいる」ことを実感できるからです。

さらに、これは副産物(?)ですが、「毎日続けられる」という自信も生まれました。「最悪、一日一文でいいから頑張れ」が私のマントラで、1年目は毎日本を開きました。一文はさすがに少ないですが、それでも「1年は365日あって、そのすべての日で同じことを繰り返した」というのは、継続性のない私にとっては大きなことでした。多読は、継続力を養うツールとしてもおすすめだなあと感じます。

失敗談ばかりでしたが、時間をかけて失敗してるので(?)結構リアリティがあると思います。もしこれから多読を始める人がいたら、是非同じ穴に落ちないでください! 失われた時間は長かったですので…。

最後に、この本もおすすめです。多読を始めた後に読んだのですが、始める前に読めばよかったと後悔した1冊です。

読んでくださってありがとうございました。