『化石ハンター』/小林快次著を読んで

以前、NHKの『あさイチ』というラジオ番組で恐竜学者である小林快次(よしつぐ)さんが出演されていました。そのインタビューがとても印象に残っていて、インタビューの言葉のかけらを見つけることができないかと、ある日、小林さんの本を読みました。

本は、PHP研究所から出版されている「YA心の友だちシリーズ」の1冊で、中心的な対象読者はたぶん子ども、中高生じゃないかと思います。だけど、私はどはまりして、このところの私を動かしてくれたのは、この本の言葉でした。そこで、今日は本を読んで感じたことを書いてみます。

 

『化石ハンター 恐竜少年じゃなかった僕はなぜ恐竜学者になったのか?』

まず小林さんは、北海道大学総合博物館教授をされています。

タイトルからすると、小林さんの人生の歩み、子供のころからどうやって今まで人生の歩みを進めてきたかという内容が書かれている気がするかもしれません。もちろんそれも書かれています。だけど「どうしてそういう人生になっていったのか」の部分が、もっと大切になっている本だと感じました。

Amazonの内容紹介文の一部はこんな風に書かれています。

世界トップクラスの恐竜学者である著者は言う。
「恐竜は特別、好きというわけじゃなかった」
化石採集に熱中した少年時代。
知識やウンチクとしての古生物には興味がなく、ただ太古から現存してきた化石の、時空を超えた存在感に想いを馳せるのが好きだったという。
「普通」を夢見ていた意外な少年時代、大学時代の挫折感と虚無感から始まった恐竜学者への道のりを語ります。

 

 

未来にワクワクするきっかけをあたえてくれた本

この本の一番よかったところは、未来にちょっとワクワクするきっかけをくれたことでした。本には、「これだったら私にもできそう」という要素がつまっています。「これだったら私もできそう、私も変われるものなら変わりたい」と素直に思い、一歩踏み出すことができた気がします。

私が救われた本書の考え方は、ものごとを引き算で考えないところでした。たとえば、なにか始めたけれど三日坊主になってしまった場合、「ああ、続かなかった」と後ろ向きにとらえやすいです。

けれど小林さんの場合、三日坊主はいいことだと思うと書かれています。「イヤになってやめたということは、それが自分に向いているかを試した結果、向いていないと確認できたということ」と書かれ、本のなかで、後の文章はこんな風に続いていきます。

 何でもいいから試してみる。試してみて「これもダメ、あれもダメ」でもいいのです。そうやっていくつものことを試しているうちに、自分に合うもの、やっていて楽しいと思えるものが見つかれば、自然にそれをやり続けていくでしょう。
何かを始める、つまり一歩を踏み出すことができるというのは、実はそれだけですごい能力です。その一歩を踏み出すことに尻込みして、何も始められず、どこにも向かえずにいる人が多いように思います。

「なにかを始める」ことをものごとの「始点」とし、生まれたものから着想を広げていく。始めたところの点を未来に向かってつなげていく。目の前の「今」から「未来へ」つなげていく小林さんの考え方に惹かれました。

本で一番印象に残っているのは、次の言葉です。

 転機はふとした瞬間に訪れました。横浜国大の図書館で、なにげなく手にした恐竜図鑑を開いたとき、そこにあった恐竜たちの姿を見て、思いがけず胸が高鳴るのを感じました。(中略)
とはいえ、身体に電流が走るように「好きだ!」とか「これだ!」と熱烈に思ったというわけではありません。中学生のとき、理科クラブの顧問の先生に「福井県ではアンモナイトや三葉虫の化石が出ます」といわれて「へえ、面白そう」と思った、あのときと同じくらいの軽い気持ちでした。
たとえば、「全号揃えるとこんな模型が完成します」という分冊百科のCMを見て、「面白そう、ちょっとやってみるか」と思ったりすることは、誰にでもあるのではないかと思います。あの感覚と一緒です。

この転機が訪れる前の小林さんの人生は、外から見れば順調と思われるものだけど、本人は「どこかに向けて一歩を踏み出したいのに、どこに足を出したらいいのかわからず同じ地点でずっと足踏みしている」状態だったと書いています。けれどこの図書館での経験をもとに、自ら恐竜学者としての一歩を踏み出し始めます。

私は、なにか始めたいことがあっても「うまくいくかわからないから…」と最初の一歩を踏み出さない人でした。けれど、「面白そう、ちょっとやってみるか」というような楽しみを大切にするやり方だったら、私にもできそうだと思い、小さな一歩を踏み出すことができたように思います。

 

「今を生きる」「ワクワクすることをする」というのは、自己啓発書やスピリチュアル系の書籍でよく見る言葉です。でもそういう本の言葉を読んで、「よし、わかった!」と案外行動につながることはすくなかった気がします。

私の場合、例えば経営者や著名人の方の本は読んですごいなあと思うけれど、そこからなにか次の行動につながることはあまりなかったです。その理由の一つは、たぶん著者やスポットの当たっている人が「仰ぎ見る」存在になりがちだったからだと思います。「はあすごいなあ」とは思うけれど、すべてはすごいなあ止まり…。

けれどこの本は違って、なにが違うのか考えたとき、まず読者に語りかける形で話が進んでいくことがあると思います。図書館の話のように身近に感じられる話も多く、それだったらわかるなあ、それだったらできるなあと思える話がつまっています。そして書かれていることが、小林さんの人生をもって証明していることというのも大きいです。思っていることの後にそう思う理由が続き、そのあとに自身の体験が続き、主張が人生を通じて証明されていきます。

自分と小林さんの話に関連を見出せ、小林さんの自身の人生の体験談から勇気をもらう。そして「じゃあやってみようかな」という流れにつながっていた気がします。

もともとは子ども、学生向けの本だとは思うのですが、大人の人にもうったえるものがたくさんある本だと感じました。

去年読んで、読んでよかったと思える本の1冊で、今もときどき思い出す1冊です。

西野亮廣著/『魔法のコンパス』を読んで

キングコング西野さんの「魔法のコンパス」を先日読み終わりました。5月に角川から出版された文庫版ではなく、2016年に主婦の友社から販売された単行本の本です。今日は感想を書いてみます。

 

まずどんな本かというと、ちょっと今回はAmazonの紹介文を引用させてもらいます。

 

漫才師、絵本作家、イベンター、校長、村長、ついには上場企業の顧問にも就任! 肩書きを自由に飛び越える芸人界の異端児が書く“レールからハミ出す人のためのビジネス書”。「自分だけの仕事の作り方・広げ方」、「本当のお金の話」「常識の覆し方」「エンタメの仕掛け方」まで必読!

 

本を読んで一番印象に残っているのは、西野さんの物事への「向き合い方」です。それは西野さんの行動力と、ものごとを前向きに転換させていくところ、と言い換えられると思います。

 

そのなかでも一番印象に残っているのは、モリで突き刺していく話でした。西野さんは2013年の1月「来月、ニューヨークで個展をしたい」と言い出したそうです。アテやノウハウもない。英和辞典片手に、ニューヨークのギャラリーに片っ端から80社ほど、連絡をとったそうです(まずここまでの、この行動力すごい!)。直前にも関わらずギャラリーは見つかりました。でも、ギャラリー費用、渡航費、宿泊費、設営・運搬費などのお金の問題が残っています。西野さんは当時日本にはいってきたクラウドファンディングを使うことを思いつき、支援の方法としてSNSを選びます。「キングコング西野」でエゴサーチをして、自身についてリツイートしている人をリストアップして、700~800人に「はじめまして、キングコングの西野です。実はこの度、クラウドファンディングという…」という風に、直接メールを送っていったそうです。これは「拡散希望」と書かれたリツイート数が昔にくらべて少なくなっているのを見て、みんな大多数に向けて投げられた情報には反応しなくなり、SNSは今までの拡散装置としての役割は果たさなくなっていることに気づいて行ったということ。実際これが当たってお金は集まり、個展をやるときの集客にも現地にいる人に向けて、同じように「はじめまして…」と連絡を取ったそうです。

 

この話は、【SNSは拡散ツールではなく、個人をつなげるツールであり、大多数に網を張るより、1対1を繰り返すほうがよい】という趣旨の内容を伝えるために紹介された話です。だけど私は、単純に芸能人がモリで突き刺す手法を使うということにびっくりし、アメリカのギャラリーに自分でダイレクトメールを送ってしまえる事実に驚きました。私は相手がどう考えるかとか考えて、結局なんにもしないだろうなあ、そしてそのまま終わるだろうなあと思ってしまったので…。

 

あと、もう一つすげえなあと思ったのは、西野さんのネガティブ要素のある状況を転換していける力、そして言ったことを実行する力です。ハロウィン翌日のゴミ拾いイベントや、負けエンブレム展の話が印象に残っています。いずれもネットなどで取り上げられたから知っている人も多いかもしれないですね。ゴミ拾いイベントは、渋谷のハロウィン翌日のゴミが大量なことに対して、「ゴミを出すな」と押し戻すのではなく、ゴミが出ることを逆手にとってゴミ拾いイベントを行い、出たゴミでアート作品を作ろうというもの。そして負けエンブレム展は、オリンピックの新しいエンブレムを募集する際、最終候補に落選した方を対象に、西野さんのブログで大賞を決める『負けエンブレム展』を開催するというもの。落選した作品にいいものがあったのではないか、デザインで生計を立てている方にとっては相当の意気込みで挑戦したもので、それがただ埋もれていくのはもったいないということで始まったものです。

 

多くの人が目の前の出来事をそのまま受け入れるのに対して、西野さんは人を巻き込んで、自分にできる行動を起こし目の前の現実を変えていきます。この上の話の流れのなかの文章ではないのだけど、本にはこんな文章があって、この文章が西野さんの考えの根幹を伝えているなと思いました。

 

そこに自分が絡んでいるかどうかなんて、もはやどうでもよくて、とにもかくにも世の中が今よりも楽しいもので溢れたら、僕にとっては、それが一番イイ。

 

いつだって僕は自分のためにやっているんだけれど、そのことが巡り巡って誰かの救いになっていたりすることがある。

 

行動力の話にしても、物事の見方を転換させていく話にしても、いずれも紹介したのは内容の一部にすぎず、本にはほかにもいろんなアプローチで西野さんが考えたこと、実際に行ったことが紹介されています。西野さんの場合、考えていること、実際に行ったこと、ネットの情報がセットでまとめられていることが多く、順を追って流れを整理しやすいです。それから言ったことを実現していくから、言葉がしっかりと響いてきます。

 

話が少しずれるのですが、私にはSNSやブログでフォローしたりしている人のなかで、その人の動向が気になるけれど、その人のことをまっすぐにフォローできない人が何人かいます。斜に構えて冷めた目で見ているのに、気になるから見ちゃう…という。みんな、努力して自分のやりたいことにチャレンジしている人たちで、やってることはすごいんだけど、まっすぐに肯定できないのです。西野さんの本を読んだとき、その人たちのブログを読んだときと感覚が似ていることに気づきました。なぜ肯定できないのだろうと考えてみると、そこにあこがれやうらやましさの気持ちがあることに気づきます。

 

本を読んで感じたことを一言でまとめると、「正しさ」だと思います。本を読んでいると、俯瞰で周りをながめ、自分の持っているものを分析し、長けている部分を活かすためにコツコツと努力している様子が伝わってきます。それから、ハロウィンあとの掃除や負けエンブレム展のように、マイナスの出来事をプラスに変えたり、世の中を今より楽しいものにしようとしている姿も読み取れます。そして実行に移すためには、ガンガンに行動していくストーリーも語られています。それらの話を「正しい」と言っていいのかはわからないですが、今よりもよりよい方向を目指し、有言実行で解決策を自分で考えながら向かっていく姿は、まっすぐで、正しい考え方だなあと感じました。たぶんまっすぐに肯定できない気持ちは、自分のあまりみたくないダメなところを、西野さんの文章を読んでいると思い出してしまうからなのかな、と感じました。

 

私はテレ東のゴットタンの企画は大好きですが、西野さんのブログをちらっと読んで西野さんをジャッジしていた節がありました。でも今回、本を読んでみてそんな風に考えてるんだ~と思うことがいろいろありました。本人の思いの根幹をたどらないと、だめなんだなと思い知らされた1冊でした。

 

就活をしている学生や就活前の学生の方で、今の卒業して就活して…という流れに疑問を抱いている人、何かを変えたいけど具体的に何を変えればいいのかわからない、という人には参考になる情報が多い気がする本でした。

R.J Palacio著『Wonder』を読んで

1年近く前、紀伊国屋書店の店頭にずらりと一面並べられていたこの本。少し前に読んでみたところ、折を見てまた読み返したくなるような本でした。「Wonder」には、スピンオフ的な小説「Auggie and Me」という本もあります。先日両方を読了したので、今日は両方を読んで感じたことをまとめてみます。

 

あらすじ

主人公の少年は、生まれつき顔に障害がある10歳のオーガスト。本の中には、小さな子供が初めて彼のことを見ると怖がってしまう、なんていう描写もでてきます。顔の手術のため入退院を繰り返し、それまでは学校には行かずホームスクーリングをしていました。それが中等部の1年目になるとき、治療も落ち着き、オーガストの今後のことも考えて学校に行くことに決めます。けれど、見た目がみんなと違うオーガストの学校生活は大変なものでした。物語はオーガストの学校生活を、いろんな登場人物の視点を交えながら追っていきます。

 

物語の特徴の一つは、ストーリーが6人の登場人物の視点から描かれていることだと思います。一番最初は主人公のオーガストから始まるけれど、そのあとはオーガスト以外にもオーガストのお姉ちゃん、学校での「Welcome Buddy(翻訳では『案内役』)」を校長先生から頼まれたジャック、お昼に独りぼっちになってしまっているオーガストとランチを一緒に食べることで仲良しになったサマー、お姉ちゃんのボーイフレンド、お姉ちゃんの友達という風に話者が変わっていきます。話者が6人もいると読みづらそうですが、話者が変わるところで物語もスムーズに展開していくのでごちゃごちゃ感はないです。また話者が変わることで、それぞれの登場人物がどのように主人公のオーガストやほかの登場人物、学校のことを見ているのかも見えてきます。

 

カラフルな個性

本を読んで感じたことを一言で表現するとしたら「カラフル」でした。

本には、人が隠したくなる本音の部分がモノローグのなかで克明に描写されています。登場人物の寂しさや他者に対するあこがれ、うらやましさ…。そういった気持ちはときに登場人物間の関係性のこじれの原因にもなりますが、本のなかでは子供たちが紆余曲折を経て自分の気持ちに向き合って、相手に向き合って関係を修復したり、構築したりする様子が描かれています。

本を読んでいて、こじれにつながることがあるにせよ、自分の気持ちにまっすぐで正直な子供たちが輝いて見えました。子供たち一人一人の感じ方、個性がとてもカラフルに見え、それぞれの登場人物がボッと燃え出すエネルギーみたいなものを秘めているように見えました。

なんでだろうなあと考えたとき、大人になるにつれて自分がプラスもマイナスも含めて「大人」になってしまったからだろうなあと思いました。なんとなく気づきたくない自分の気持ちに蓋をしてしまったり、できるだけ衝突を避けようとしたり…。もちろんそれらはよい面もあります。でも、本を通じてまっすぐに自分の気持ちと向き合うことの大切さも、間接的に学んだ気もします。

 

本を読んで感じたことは、描写がリアルだなあということ。ああ、今オーガストがうけているのはこういう視線だろうなあとか、この追いやられる感じわかるわかるなあ、と容易に状況の想像がつきました。読者である自分自身の小学校時代はだいぶ昔なのに、読みながら過去のいやだったこと、つらかったことがフラッシュバックしたりと、読み手にこんなにリアルに感じさせたり、思い出させたるなんて、すごい描写力だなあと感じました。

だからこそ読み終わって一番強く思ったのは、「オーガストができるなら、私も頑張らなきゃ」でした。自分自身を知ってもらうことなく、容姿だけで判断され、かわかわれ、疎外感を味わう。子供はときに残酷です。だけど彼は、ひとつひとつの壁を越えていきます。それは一つには彼の周りの環境の良さに由来するところもあって、それに対しては、こんないい人ばっか周りにいることないよと感じたりもしました。それでも、途中から「ああ、この子すごいなあ」と純粋に一目置きながら本を読んでしまいました。架空の物語であるにも関わらず、です。

 

この本、2016年の課題図書らしいです。なので児童書のくくりになっていて、ひらがなも多いですが大人でも学ぶところが多い本だなと感じます。私の場合は、一つの状況に対して多くの人の視野を取り入れることで見えてくるものがあり、子供の見方、感じ方から学ぶことがありました。本が文庫になっていて、翻訳の語尾や調子がちょっと違ったら、もっと多くの人に届く物語だと感じます。

 

Wonder本編だけでも面白いけれど、スピンオフ的な「Auggie & Me」も面白いです。こちらでは、Wonderの本編ではそこまでメインロールを担っていない3人の登場人物の「本音」の部分が一人ずつ深堀りされていきます。示唆的だけどしつこくなくて、短編として楽しめるお話です。

 

英語の多読をやっている人がいれば、おすすめです。読みやすくて、日記などで使いやすい表現がざくざくありました。よかったらどうぞ!

『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読んで

若林さんの2作目「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読み終わりました。人生ではじめて紀行文を読んだのですが、おもしろかったです。キューバという国の雰囲気が伝わってきて、それが若林さんの視点でまとめられていて、笑えたりドキッとしたり、考えさせられたり…。キューバに行ってみたくなりました。今日は、感想を書いてみます。

 


あらすじは、Amazonから引用させてもらいます。

前作『社会人大学人見知り学部卒業見込』から約4年ぶり、新作の舞台はキューバ! 航空券予約サイトで見つけた、たった1席の空席。何者かに背中を押されたかのように2016年夏、ひとりキューバへと旅立った。慣れない葉巻をくわえ、芸人としてカストロの演説に想いを馳せる。キューバはよかった。そんな旅エッセイでは終わらない。若林節を堪能できる新作オール書き下ろし!

 

紀行文であり、経済や人間の話であり、そして家族の話である本

若林さんは、日本と違う社会のシステムに生きる人々の顔を見るため、それから後々わかるもうひとつの理由から、キューバに3泊5日の旅に出ます。

3日間の旅行中、1日目の6時間は日本語を話せるキューバ人ガイド・マルチネス氏と、1日目の夕方、2日目は現地在住の日本人マリコさんと観光し、残りの1日は若林さん単独で観光をされたそう。マリコさんと観光をするときは、マリコさんと2人で観光する以外に、マリコさんの友人のキューバ人や、そのまた知り合いのキューバ人とも一緒に観光されています。そのため、本にはガイドのマルチネス氏をはじめ、数人のキューバ人との交流が描かれています。

キューバ人との交流の描写が多かったのが、キューバの印象をカラフルで行ってみたい! と感じさせてくれるものにしていた気がします。若林さんは「海外からの観光客相手の場所ではなくて、キューバ人の生活に寄り添ったディープな場所が見たいのでお願いします」と出国前にマリコさんに頼んでいたそうで、キューバ人と一緒に闘鶏場に行ったりもしています。旅行会社のプランに沿った旅をしたのでは見えてこない「キューバ」が本には描かれていて、そこからキューバの雰囲気や、キューバ人の国民性を垣間見ることができて面白かったです。

 

そして、それらの体験が若林さんの視点で語られているのがいいです。経済のこと、キューバ人の人との関係の築き方、人々の表情などなど、それらの描写はリアルで、頭のなかで思い描きながら読み進めてしまいます。

私が本のなかで一番印象に残っているのは、若林さんが革命博物館で感じたことを書いた文章でした。

しかし、革命博物館でぼくの心をとらえたのは彼らの政治的なイデオロギーではなく彼らの”目”だった。バティスタ政権を打倒しようとする若者のような目をあまり見たことがなかった。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか? あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」というゲバラの名言がある。
ぼくは革命博物館で涙を流さなかったし、今の生き方も考え方も変えるつもりはなかった。だけど、ぼくはきっと命を「延ばしている」人間の目をしていて、彼らは命を「使っている」目をしていた。
ゲバラやカストロの「命の使い方」を想像した。
日本で生きるぼくの命のイメージは「平均寿命まで、平均よりなるべく楽しく生きる」ことではないかと、そんなことを初めて考えた。

この文の流れの最後で、若林さんは「『命を使いたい』と思った」と書いています。

この文を読んで、ドキッとしました。というのも、この文を読んだときはちょうど身体の衰えを意識し、長く健康的に生きる方法を模索しているときでした…。でも同時に模索する過程で、「果たして健康的に長く生きられたとして、その時間をどう使うんだ?」と、問いかけているときでもありました。そんなときにこの文を読んで「ああ、私も命を使えていなくて、命を延ばそうとしている目をしているんだ」と気づかされました。本を読んでから、ふとした拍子に、もしくは鏡を見るときに、自分の今の目と命の使い方を考えてしまいます。

 

本を読んで感じたことを一言で表すのなら、「探索」でした。日本以外の国のシステムで生きている人はどんな顔をしているのだろう? その答えを探しにペルーに旅に出る若林さん(他の理由もあったのですが)。そして、ペルーでいろんなことを感じ、そこで生まれる自分の反応から、自分自身の考えや思いを知り、自分の思考の着地点をつけて日本に帰っていく…。

「キューバはよかった。そんな旅エッセイでは終わらない。若林節を堪能できる新作オール書き下ろし!」。この紹介文の通り、本には紀行文という枠だけにはおさまらず、現代経済とは、人間とは、家族とは…といろんな要素について考える若林さんの姿がありました。

本を読むとき、過去に資本主義にもやもやを感じ、同じように旅をした自分を思い出しながら読んでしまいました。その頃はこの本は出版されてなかったのですが、その頃にあって、読むことができてたらよかったなあとしみじみ思いました。なので、同じように社会、経済にもやもやを感じている人がいたら、是非読んでほしいです。

 

いやー、でも私は単純に紀行文として読んでいて楽しかったです。

おすすめのムック『暮らし上手の発酵食』

最近、発酵食の効能についての書籍を以前より書店で見かける気がします。

数年前、塩麹が注目されたとき、私は書店で見かけた本がきっかけで発酵食にはまりました。あれから数年が経ちますが、今も日々の生活でヨーグルトを作ったり、食事に少しずつ発酵食を取り入れる生活をしています。たぶん、今もこんな風に興味を持ち続けているのは、今日紹介する本のおかげでした。発酵食に興味を持ち始めた方におすすめなので、今日はこの本について書いてみます。

 

ムックという形態がいい。雑誌感覚で楽しめつつ、発酵食の基本が学べる

 この本の一番いいところは、ムックという形態だと思います。雑誌以上だけど、書籍まではいかない。雑誌のようにサラッと読めるけれど、書籍のような「この発酵食の効果を期待するには、いついつ食べるといい」みたいな細かい知識は載っていない。具体性のある知識までは載っていないので、そのあたりの内容に特化した本を読みたい人には、物足りないかもしれません。ただ、発酵食の基本的な知識や作り方、アレンジレシピなどを知りたい方にとっては、入門書としてちょうどいいと思います。

 

具体的な内容は?

本では一番初めに特集を組み、発酵食に魅せられた8人を紹介しています。料理家、フードコーディネーターなど、主に食にまつわる分野で活動している人たちです。8人の方を紹介するとき、それぞれ異なる発酵食(もしくは視点)についても一緒に紹介していきます。ある人の特集ではその人の味噌の活用法を、また別の人の特集ではその人の塩麹の活用法を、という具合です。他にも異なる人たちの、ぬか漬け、甘麹、酒粕、ヨーグルト、麹を使ったおつまみの活用法などもまとめられています。味噌、塩麹、ぬか床、甘麹、アンチョビ、塩辛に関しては、作り方も紹介されているので、自分で作ろうとするときに便利です。

この特集の他には、発酵食の基本知識、塩麹の便利な使い方、発酵食を活用した様々なドリンクや、発酵食を別の食材との掛け合わせるレシピも紹介されています。そもそも発酵食とはなんなのか、それぞれの発酵食は身体にどんな効能があるのか…などなど。発酵食のレシピと一緒におさえておきたい情報が、わかりやすくまとめられています。

 

この本のよかったところ

この本がきっかけで、発酵食の楽しさや面白さに気づきました。そしてそれは、ムックという本の作りのおかげだった気がします。書籍のように1冊に簡潔にまとまっている本は、情報収集の手段として便利です。でも、ちょっと一息つける「隙間」みたいな部分はあまりない気がします。

このムックの場合は、雑誌のように、特集する人たちの暮らしを伝えつつ、その人たちが日々実践している発酵食ライフを伝えてくれます。8人の発酵食にまつわる失敗談や、発酵食を生活に取り入れるコツについてのコラムもあったりします。今考えると、それらの雑誌感覚で読める手軽さがよかったです。プロでも失敗するのか! と思え、気が楽になりました。いい感じの「隙間」が本にはあるのです。

一方で、発酵食の効能やレシピはサラッとまとまっているから、その情報が知りたいときはそこだけ開けばいい。重宝したのは、発酵食の効能カタログと、発酵食を使ったドリンクや掛け合わせレシピでした。例えばドリンクのページでは、飲みたいドリンクが朝・夜と分けて紹介されています。朝は栄養補給を兼ねたドリンクを、夜は疲れのリセット、よい眠りにつなげるドリンクを、という風に、意識したいポイントに沿った飲み物がまとめられていて、日々の生活で役立ちました。

今でも、ぬか床や甘酒を作ったり、料理のヒントが欲しいとき、この本をよく開きます。本はいろんな意味で、私が求めている情報を適度に伝えてくれて、本当にちょうどよい1冊でした。

発酵食について知りつつ、食事で摂り入れていきたいと感じている方には、読みやすい1冊になると思います。そういった本を探している方がいたら、よかったら読んでみてください!

1冊で、9人の著者から考え方や基礎知識を学べる本「考える力をつくるノート」

「段取り力を手に入れたい」
「脳の働きなど、人間の特性を理解・利用しながらうまくものごとをすすめたい」

そんな風に思っていたときに、「考える力をつくるノート」を見つけました。知りたい内容に、ドンピシャな本でした。サラッと読めたけれど、参考にする部分が多かったので、本の紹介と今のところ感じた変化(実践して2日だけど)をまとめてみます。

9人の授業 9つのプレゼン

上の表現が、本書の雰囲気を伝えるのにぴったりではないかと思います。

まず、読んで解釈したうえで、本の内容をざっくり分類すると次のような感じのイメージでした(本の分類とは異なります)。

・脳の特性を活かす方法
・思考法、問題へのアプローチのヒント
・他から抜きんでる「自分」をつくる方法
・生き延びるための心理学

そして、これらのトピックは、脳科学者、コンサルタント、経営者、新規授業プロデューサー、精神科医など、異なる分野の9人がそれぞれ紹介します。

それぞれの分野を、9人の論旨を加えつつさらに具体的にすると、
<脳の特性を活かす方法>
・自分の才能を引き出す5つの方法 (茂木健一郎)
・脳にいい生活習慣 (築山節)

<思考法、問題へのアプローチのヒント>
・「自分の頭」で問題解決をする「地頭力」 (細谷功)
・「最小の労力」で「最大の効果」をあげる「仮説思考」 (内田和成)

・「暗黙知」などの「ライフハック」術 (小山龍介)
・相手の力を借りて目的地にたどり着く「クリエイティブ合気道」 (箭内道彦)

<他から抜きんでる方法>
・努力をし、信用を高め、経済成長への危機意識を高める (丹羽宇一郎)
・「自分ブランド」を作る (藤巻幸夫)

<生き延びるための心理学>
・心の病の変遷、心の整理をするために (香山リカ)

みたいになると思います。丹羽さん、香山さんは、どうしてもうまくまとめられませんでしたが、それ以外は、なんとなく誰が、どんな内容の話なのかのイメージはつくのではないでしょうか。

読んで感じた本のメリットは、本の厚みに対してはサラッと読めるところでした。9人の著者の内容が、普通の厚みの本1冊にまとめているため、それぞれの伝えたい内容が凝縮されています。そのため、著者の著作を読みたい人にとっては、導入の知識としてちょうどよいと思います(逆に言うと、著作を読んだことのある人にはものたりないかもしれないです)。

また、はじめに書いたように効率性、段取り力を上げたい人にもピッタリだと思います。例えば、効率性に対するアプローチにも、思考術、脳科学的見地、ライフハック術と、異なる視点を1冊でサクッと要点だけつかめます。私の場合、雑誌の特集のようにポイントがまとまっていて、すぐ実行できる内容の知識を必要としていたので、本の内容はそれに近く便利でした。

印象に残っている箇所、小さな変化(実践して2日だけど)

一番印象に残っている文は、「脳は休まなければいけない!」でした。文はそのあと、こんな風に続きます。

まず、はじめに知ってもらいたいことは「脳は長時間働けない」ということです。(中略)
気づいてあげてください! 疲労感は、脳の健康にとって重要な”シグナル”なのです。
たとえば、「眠い」というのは、脳が疲れているという状態です。あくびが出たり、集中力が低下してイライラする。まぶたがぴくぴくする……。これらの兆候も脳が疲れているサインです。こういう場合は、疲れの程度によって、睡眠、数時間の休養といった疲労回復の時間をとってください。

いつからか、疲労感は常にありました。疲労感があることが当たり前で、いつからか「そういうもんなんかな」と思っていました。でもこの文を読んでから、意図的に休むようにしています。たとえばライティングをするとき25分集中、5分休むというサイクルを繰り返すようにしています。5分でも休息をすると頭がスッキリし、集中力が長時間持続する感覚があります。この章と、もう一つ脳の章の内容を全体的に参考にするようにしたら、脳とうまく付き合う方法がほんの少し見えてきました。

一番大きな収穫は、やり方を知っていることで、かなり「楽さ」が生まれたことだと思います。「25分作業を続けたら、5分休む」というようにかなりシンプルなことなのに、生産性が上がり、イライラが減って健康的な脳の使い方をしていることを実感します。

さいごに

私の例は少し極端でしたが、本には様々な見地からの「こういう仕組みだから、こうするといいよ」「こんなふうにすれば、うまくいくよ」という考え方の「コツ」が書かれています。

「地頭力って気になってたんだよな」「茂木さんの本に興味がある」…など、ちょっと気になる単語があったり、著者がいた場合は、読んでみると面白いと思います。上の例はまさに私のことで、ずっと地頭力に興味があり、茂木さんの本を読んでみたかったので、とてもいい導入本になりました。

読んでくださって、ありがとうございました。

若林正恭著『社会人大学人見知り学部 卒業見込』を読んで

あるとき、アマゾンでオードリーの若林さんの「社会人大学人見知り学部 卒業見込」という本を知りました。めちゃめちゃレビューがいいので気になっていたのですが、なんとなく読む機会を逃してました。

先日たまたまテレビをつけたら若林さんがMCをやっている「激レアさんを連れてきた。」が放映されていました。なぜか「あの本、読もう」と急に思い読んでみたところ、めちゃめちゃよかった。今日は感想をまとめてみます。

あらすじをざっくりとまとめると、こんな感じでしょうか。

2008年12月、M1グランプリで2位になってからオードリーの生活は激変する。大学を卒業後、お笑い芸人を目指し今の事務所に入った著者にとって、そのときがはじめて自分が社会に参加しているという感覚だった。30歳の頃だった。それゆえ「社会」のなかの出来事は、著者にとって驚きの連続だった。本は雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載をまとめたもので、著者が「社会人2年目」のときから始まっている。本では社会人2年目、3年目、4年目、真社会人と、著者の気持ち・考え方の変化、社会との関わり方の変化を追うことができる。

「”確か”なもの」と「小さなノック」

著者が社会人3年目のとき、言葉と感情を選ぶようになったという始まりのエピソードがあります。円滑に社会と渡り歩くために、対外的な反応ばかりに気を取られ、自分の本心はどうでもよくなっていき、自分の素の気持ちがわからなくなっていったそうです。そんなとき、その1年前から始めたボクシングのスパーリングの練習のときのこと。左のボディーブローが、右のわき腹にもろに入ったそうです。苦しい、ムカつく。そんな風に感じながら立ち上がろうとしたとき、その気持ちが”確かな”ものだと気づき、こんな風に思ったそうです。

(痛いのは嫌だけど”確か”なものっていいよね!)

(嘘偽りのない”自分”お久しぶりです!)

・・・・・

本の感想をうなって考えていると、ある瞬間で「あっ、この話と同じだ」と思いました。本に書いてある話は、この話のようにみんな「確かなもの」だと感じたのです。そして確かなものだから、自分の心の扉を何回もコンコンとノックしてきます。

心が揺さぶられた文はいくつもあったのですが、そのなかで一番、影響を受けたのは次の文章でした。

 これまでぼくは起きもしないことを想像して恐怖し、目の前の楽しさや没頭を疎かにしてきたのではないか?
深夜、部屋の隅で悩んでいる過去の自分に言ってやりたい。そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってんだろうけど、20年調査した結果、それただの穴だよ。地上に出て没頭しなさい。

私は若林さんの性格と似ているところがあって、この描写を読んだときはハッとしました。自己肯定感が低くなったとき、何か新しいことに挑戦しようとして不安なとき、一気に底なしの沼にはまりそうになります。本にはこの話以外にも、「ああ、わかるなあ」から「ああ、聞きたくないなあ」まで、たぶんネガティブになりがちな人には「あーわかる」と納得できる話であふれている気がします。

でも、上の話もそうであるように、若林さんの話はみんな「後ろ」ではなく「前へ」と進んでいきます。目の前の現実、自分と対峙し、自分のなかで試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ進んでいく様子が本にはまとめられています。

ちなみに、上に引用したネガティブの穴の底のエッセイの最後の文は、「ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ」です。今まで読んだどんな本でも見たことのない文で、でも著者の言いたいこと、感じたことが感じ取れる文章でした。そして言っていることに納得もできる、だから心を打つ。本にはそんな文章がそこここにありました。

本を読んだあと、本に書かれている言葉をよく思い出します。特に引用した箇所は、ネガティブになりそうなとき「その穴を掘っても何もないよ」と、どこからともなくフッと浮かんできます(笑)。

人にもよるかもしれませんが、いわゆる自己啓発の本を読んで自己改革をしようとしているときより、この本の方がガツンと胸に刺さりました。自己啓発の本はどこか「ふわり」と肩をなでていくようなところがあるけれども、この本には「ああ、わかる」という実感がともなうからかもしれません。そして「ああ、わかる」と思えた人がどう思い、何をしたのかは、自己啓発の本を読むよりよっぽどリアルで、自分のいろんなことにダメだと思えたり、自分を前向きに変えていきたいという思いにつながったりしました。読んでよかった1冊でした。

今は著者の2冊目の著作、「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を図書館で予約して読める日を待っているところです。いつになるのかなあ…。

「こうやって、考える」を読んで

先日、図書館で背表紙借りした本がありました。真っ白の背表紙に本のタイトルだけシンプルに「こうやって、考える」と書いてあります。本を手に取り表紙を見ると、これもまたいい感じです。

すぐ借りてしまいました。著者は知りませんでした。「外山滋比古・・・。日本の人なのかな? なんて読むんだろう・・・」からのスタートでした。でも、この本が面白かった。今日は読んでみた感想を書いてみます。

後で調べてみると、東大生・京大生に支持されている「思考の整理学」という本で有名な方だということを知りました。評論家、エッセイストとして、また過去には大学で教鞭を執られていて、現在94歳という。すごい!

本は、著者の21冊の著作のなかから、発想力や思考力を磨くヒントになる言葉を抜粋してまとめた箴言集です。なので1ページに「メモの習慣を身につける」という見出しがあり、その横に短い引用が書いてあるシンプルなつくりです。発想力の鍛え方、考える過程についてのヒントから、日々の生活や読書、おしゃべりのなかにある発想力、思考力を磨くヒントなどまで、合計で150個のヒントがまとめられています。

少しずつしみこんでいく文章

自分の日常生活において、はじめはなれないことでも、何度も繰り返すうちに自分なりに「こうやったらうまくいくんではないか」と小さな知恵を見いだすことがあります。この本に書いてあることは、著者バージョンの「知恵」がつまったものだと感じました。

私にとって、それらの文章は自分のなかに少しずつしみこんでいくようなもののように感じられました。その理由としては、自分でも気づいたことが書いてあったり、直感的に「そうかもしれない」「ほんとうだ」と思うことがたくさん書いてあるからだと思います。自分が頭のなかでモヤモヤッと破片で感じていたこと、困ったなあと思っていたことの答えやヒントのようなものが、きれいな整えられた文章で並んでいる、そんなイメージの言葉が多いです。

たとえば、書くことについて「書く衝動を逃さない」と始め、そのあとはこんな風に続いています。「本を読みたいという気持ちはときどき起こるが、ものを書きたいという衝動はめったにあるものではない。書くのは相当”不自然”なことらしい」。「確かにそれはそうかもしれない」と、頭のメモ帳にインプットしました。本を何冊も書いている人でもこんな風に思うのかと、少し励まされもしながら、言葉を吸収しました。

うなずける言葉が多いと、著者の言っていることを追うようにしてついていき、わからなくても理解しようとします。すると、今まで自分にはまったくなじみのない発想でも、「そうなのかな、試してみよう」と自分のなかに少しずつ著者の発想がしみこんでくる感覚がありました。

たとえば、今こうやって本の感想を書くようになりましたが、これは最終的にはこの本がきっかけでした。著者は本の感想を書くことをすすめ、こう書いています。「本などもただ読みっ放しにしないで、あと、かならず感想を書く習慣をつけるようにしたい。これがどんなに我々の精神を大きく豊かにしてくれるか、はかり知れない」。理由はこまかく語られていないので、何がどうよいのかはわかりません。だけど、この人が言っているなら書こうと思い腰をあげて書き始めました。

言葉の矢は前から後ろから、上から下から斜めからと、様々な方向から飛んでくるような感覚があります。だからあるときには、「あ、この悪い例はまさに自分だ」と、矢がグサッと刺さることもあります。そして多くは語られないということもあり、正直、今読んでもいまいち内容を理解できないところがあるのも事実です。

言葉だけだとわかりにくいので、「前から後ろから・・・」の矢を、全7章ある1章ずつの見出しから、「わからない・・・」「面白い発想だなと」思ったところを抜粋してみます。

・編集視点で考える

・”ことわざ”をつくる

・知識は「死んだもの」と考える

・人生を二毛作化する

・(本に)影響を受けすぎない

・あえてゆっくり話す

・散歩をスポーツに

見出しから意味が想像できるもの、かつ自分がまだ納得できていないことを多く選んだので、少し特異な見出しが多いと思います。でも、前から後ろからのニュアンスが伝わるのではないかと思います。

何か困ったとき、パラパラっとこの本を思い出してめくりたい、そんな風に思いました。悩んだときは、一点に視点が集中しがちです。でもそんなときに、前から後ろから斜めから飛び込んでくる矢を受けて、「ああ、そんな発想あったんだ」と思い返したいと感じました。きっと悩むときで、響く言葉が違うと思います。ひょっとしたら、今わからないところはその頃には普通にわかるようになっているかもしれない。それもやはりこの本の魅力だと思います。少しずつ自分に本の内容がしみこんでくるのです。

違う視点からのアイデアがほしい人、自己啓発の本を読みたいけどいわゆる自己啓発の本とは違うアプローチをという人にとって、この本はパラパラめくると面白い本だと感じました。普通に前から読むというよりは、ちょっと時間が空いたときにパラッパラッとめくったり、気になった項目を飛ばし読みしていくとより本の持ち味が引き立つような気がします。よかったら読んでみてください。

出あえてよかった1冊『私とは何か 「個人」から「分人」へ』/平野啓一郎

「この本に出あって人生が変わりました!」

私は今までそんな本に出あったことがありませんでした。でも、今回の本は「人生を変える」は大げさですが、今のところ人生で一番ものの見方を変えてくれた本です。

かつて私は「本当の自分」を探そうとするも最終的には混乱し、自分にうまく肯定感を抱けず苦しんでいました(後者は現在も格闘中だけど…)。本には当時の私の苦悩と重なる話も多く出てきて、それらに対する新しいものの見方を「分人」という形で提案していました。

はじめは馴染みのない発想でしたが、読み終わる頃にはずいぶん気が楽になりました。「分人」という発想を通じて、過去の自分が肯定されたような感覚になり、新しいツールを手に入れたような気持ちになったのです。「もっと早く知ることができていたらなあ」と思いました。

今日は救われた一冊について、感じていることを書いてみたいと思います。

嫌いな自分を肯定するには? 自分らしさはどう生まれるのか? 他者との距離をいかに取るか? 恋愛・職場・家族……人間関係に悩むすべての人へ。小説と格闘する中で生まれた、目からウロコの人間観!

…というのがAmazonの紹介文です。で、どうすればいいの? という話ですが「分人主義」を導入することを著者は提案します。

よく自分のなかでひとつの確固とした「本当の自分」があるみたいに言われます。でも著者は「本当の自分」など存在しない、あるのは対人関係ごとに生まれる自分だけと主張します。中学時代の友達、大学時代の友達、会社の同僚、会社の同期という具合に様々な人間関係が存在し、人はそのつきあいごとに異なった顔を見せます。その対人関係ごとに生まれる自分=「分人」と定義し、「私」の分人は対人関係の数だけの存在するというのが本旨です。本では分人という考え方を導入し、恋愛、仕事、家族、様々な分野を改めて見つめていきます。

「好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい」

この言葉に一番救われました。こんな流れの文章の一節です。

 人は、なかなか、自分の全部が好きだとは言えない。しかし、誰それといる時の自分(分人)は好きだとは、意外と言えるのではないだろうか? 逆に、別の誰それといる時の自分は嫌いだとも。そうして、もし、好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。
 それは、生きた人間でなくてもかまわない。私はボードレールの詩を読んだり、森鴎外の小説を読んだりしている時の自分は嫌いじゃなかった。人生について、深く考えられたし、美しい言葉に導かれて、自分より広い世界と繋がっているように感じられた。そこが、自分を肯定するための入口だった。
(前略)誰かといる時の分人が好き、という考え方は、必ず一度、他者を経由している。自分を愛するためには、他社の存在が不可欠だという、その逆説こそが、分人主義の自己肯定の最も重要な点である。(中略)
そうして好きな分人が一つずつ増えていくなら、私たちは、その分、自分に肯定的になれる。否定したい自己があったとしても、自分の全体を自殺というかたちで消滅させることを考えずに済むはずだ。

はじめに自分の自己肯定感が低かったと触れました。私の場合の原因は、中学・高校時代にクラスの雰囲気に馴染めなかったことにあった気がします。どこか自分を否定された感覚がして、自信がどんどん持てなくなってしまう。状況は改善するけれど、苦い記憶は残ります。

「ダメな自分」がいつも頭に先に浮かんで、自己を否定し自己評価の低い自分ができあがる。焦点を当てるのはいつも暗い部分。いいことよりネガティブなことに目が行くので状況は改善しない…。

でも「好きな分人を足場にすればいい」という内容を読んで、「そうかあ」と思えました。今読むと「好きな自分を活かす」というのは当たり前に感じるのですが、当時はあまりにもダメな自分を足場にしてしまって、その発想自体がなかったのです。思考は「ダメな自分を直さないと」から始まっていたのです。

このとらえ方を知ってからは、肯定できる分人ができたので過去のとらえ方がフラットになりました。自分を思いっきり分けることが、それを可能にしたのだと思います。かなり「分人」というものの見方に救われました。

「本当の自分」を探そうとすればするほど、自分がわからなくなる。自分に肯定感を持ちたくて、楽しく日々を過ごしたくても、一部のうまくいかない人間関係を思い出すと、目の前にすると、そう思えなくなる。もし目の前にそんな状況があるのなら、この本を読んでみることも一つの選択だと思います。

もしかしたら読んだそのときが、その本の内容を活かすタイミングではないかもしれない。ただ、今までの思考でうまくいかないのならば、頭の片隅に残しておいて損はない発想だと感じます。

又吉直樹著『劇場』を読んで

又吉さんの『劇場』を読んだので、その感想を書いてみようと思います。先日感想文を書いた『火花』同様、ネタバレが含まれます。もし内容を知りたくない人は、戻るボタンを押してください!

いいですかね。

紹介文はいつものようにAmazonから引用させてもらいます。

演劇を通して世界に立ち向かう永田と、その恋人の沙希。夢を抱いてやってきた東京で、ふたりは出会った――。『火花』より先に書き始めていた又吉直樹の作家としての原点にして、書かずにはいられなかった、たったひとつの不器用な恋。夢と現実のはざまでもがきながら、かけがえのない大切な誰かを想う、切なくも胸にせまる恋愛小説。

本を読んだ直後は、心はどんより、ずっしり重くなりました。理由は主人公、永田のありかたにあったと思います。永田はある意味で、自分自身の価値観に苦しんでいるように見えました。それが自分に対する自信のなさ、他人への嫉妬から来るものなのか、人に受け入れられないことから来るものなのかわかりません。ただ他と交わらず、他を認めようとしない姿勢が、彼自身をより一層苦しめ、更に自分を甘やかしている姿勢にも結局は苦しんでいたような気がします。

私がどんよりしてしまった理由は、自分と重なるものがたくさん見えたからだと思います。自分に甘く、それで結局自分が苦しみ、自分のありかたに苦しんでいく姿。読みながらどんどん主人公、もしくは自分にうんざりしていってしまいました。

そんな感じで気持ちがあまりにどんよりしていたので、正直今回は感想文を書きたいとも思えませんでした。でも、どうしても前回『火花』を読んで感じたことを考えると、「どんより」を目的とした小説には思えませんでした。

そこで、パラパラと印象に残った箇所を読み返してみました。すると「どんより」以外の自分が惹かれた場面を少しずつ思い出してきました。そうやって読み直したあと浮かんできた言葉はなぜか「多面体」でした。

例えば、作中の永田の純粋な言葉にハッとさせられました。永田が主宰している劇団の元劇団員が小説を出版したときのことです。2人の関係性は良好とは言えず、お互いを強烈にメールで罵り合い、永田は元劇団員の小説をボロカスに言います。現実世界での出来事だったらもう一生会うことはおろか、連絡すらとらないような内容でした。それでもあるきっかけで2人は再会し、永田は自分が送ったメールの内容を一部撤回、謝罪し、再度読み直すと言い始めます。永田はこんな風に言っています。

「いや、絶対読む。本当に申し訳ない。でもこれだけは言わせて。なんでもかんでも笑い飛ばす必要なんてないから。しんどいことは、しんどいでええし。最終的に笑えたら良いと思ってるから」

普通にいい言葉だなあと思いました。永田はいろいろとねじ曲がったところがあるので、それだけに「そうかあ」と思いました。

そんな風に少し見方を変えてみると、作中初期の沙希と永田のやり取りでいいなあと思ったところもあったなあと思い出します。たとえばこんなやり取り。

「ねえ、空に向かってガム吐いたことある?」

勝ち誇った顔で僕を見上げる沙希の髪からは良い匂いがしていた。

「ないよ」

「すごい怖いよ。上から落ちてくるからね」

沙希は嬉しそうに言った。

「あたりまえやん。でも六年生になるまでガムは全部のみこんでた」

「だめじゃん」

「ええねん」

およそどうでもいいような会話を繰り返しながら、歩き続けた。こういう時間が僕は好きだった。

なんかあったかいなあ、と。でも、そうかと思うと「この人ほんとに沙希と一緒にいたいんかな」と思う描写もでてきたりします。沙希を大切に思う感じは作中から感じとれるのだけど、内面で思っていることと、外に出てくる態度がチグハグに感じることも多かったです。話が進むにつれて沙希とのやり取りを見ていると、「永田、どうしたいんだ?!」ともどかしい気持ちになっていきました。

ある場面でこんな言葉がありました。

沙希が日常で見せる、あらゆる感情がない交ぜになった表情。発する言葉とは矛盾する感情の気配が表情から読み取れることがあった。ああいう迷いのようなものを排除して一貫した思考を持つ登場人物が存在してもいいのかもしれないけれど、迷いを抱えたまま動く人間の面白さのようなものを表現できないだろうかと考えていた。

これは永田が今後の作品について考えているとき、沙希の表情を思い出しながら思ったことです。でも、私はこの表現が永田に当てはまるような気がしました。すべてがまっすぐにつながってはおらず、いろいろな要素が混じり合い、葛藤を抱え、恋人に当たり、迷いながら生きていく姿、という意味で。

正直、喜々として読めた小説ではなかったし、永田に好感が持てたとは言い難いです。ただ、バッサリと否定ができるかというとできないなあと思います。沙希に対する永田の感じ方で好きなところもあったし、自分と重なるところもたくさんありました。

本作を読んで感じたことがあります。それは、私は言動に一貫性があって、前に向かって進むこと=「よし」としていたなあということ。もちろんそれができるならそれに越したことはないけれども、果たしてそこまで人は本当に整合性がとれているだろうか、もしくは整合性のとれた生き方だけが答えなのだろうか、と今回の作品を読んでぼんやりと考えてしまいました。

正直、又吉さんの著書じゃなかったら、今回の感想は抱いてないんじゃないかなあと感じています。「又吉さんが書いたものだから」という部分が確実に反映して上の感想になっている気がします。それを思うと「うーん、いいのかなあそれで」と感じてしまいます。難しいところです。

息苦しさを感じるところも多かったです。でも最後にぼんやりと思ったことを考えると、それだけで一つ大きな収穫だったなあと思います。